2007.01.26 Friday
《第五》 二十四時間の出来事を
映画(1975) より
二十四時間の出来事をもれなく書いて、もれなく読むには少なくも二十四時間かかるだろう。いくら写生文を鼓吹(こすい)する吾輩でも、これはとうてい猫の企て及ぶべからざる芸当と自白せざるをえない。従っていかに吾輩の主人が、二六時中(一日中。昔、1日が12刻であったところから。四六時中に同じ)精細なる描写に価する奇言奇行を弄(ろう)するにも関わらず、逐一これを読者に報知するの能力と根気のないのははなはだ遺憾(いかん)である。遺憾ではあるがやむをえない。休養は猫といえども必要である。
鈴木君と迷亭君の帰った後は木枯らしのはたと吹きやんで、しんしんと降る雪の夜のごとく静かになった。
主人は例のごとく書斎へ引きこもる。
子供は六畳の間へ枕をならべて寝る。
一間半のふすまを隔てて南向きの部屋には、細君が数え年三つになるめん子さんと添え乳(そえぢ)して横になる。
花曇りに暮れを急いだ日は疾(と)く落ちて、表を通る駒下駄の音さえ手に取るように茶の間へ響く。隣町の下宿で明笛(みんてき)を吹くのが絶えたり続いたりして、眠い耳底(じてい)に折々鈍い刺激を与える。外はおおかた朧(おぼろ)であろう。晩餐に半ぺんのダシで鮑貝(あわびがい/「吾輩」の食器)をカラにした腹ではどうしても休養が必要である。