「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第六》 暑い暑い


画/橋口五葉

 こう暑くては猫といえどもやり切れない。皮を脱いで肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと、イギリスのシドニー・スミスとかいう人が苦しがったという話があるが、たとい骨だけにならなくともよいから、せめてこの淡灰色の斑入(ふいり)の毛衣(けごろも)だけはちょっと洗い張り(着物をほどいて洗い、のりをつけて広げた布を、張り板に固着させたり伸子(しんし)で張ったりして乾かす方法。要するに洗濯)でもするか、もしくは当分のうち質にでも入れたいような気がする。人間から見たら猫などは年がら年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事な銭(ぜに)のかからない生涯を送っているように思われるかもしれないが、いくら猫だって相応に暑さ寒さの感じはある。たまには行水の一度くらい浴びたくない事もないが、なにしろこの毛衣の上から湯を使った日には乾かすのが容易な事でないから、汗臭いのを我慢してこの年になるまで銭湯ののれんをくぐった事はない。折々はうちわでも使ってみようという気も起こらんではないが、とにかく握る事ができないのだからしかたがない。それを思うと人間は贅沢なものだ。生で食ってしかるべきものをわざわざ煮てみたり、焼いてみたり、酢に漬けてみたり、味噌をつけてみたり、好んで余計な手数をかけてお互いに恐悦している。


「シドニー・スミス」
Sydney Smith (1771 - 1845)
イギリスの牧師、著作家。



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《第六》 暑い暑い2



 着物だってそうだ。猫のように一年中同じ物を着通せというのは、不完全に生まれついた彼らにとってちと無理かもしれんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へのせて暮らさなくてもの事だ。羊のご厄介になったり、蚕(かいこ)のお世話になったり、綿畑のお情けさえ受けるに至っては、贅沢は無能の結果だと断言してもよいくらいだ。
 衣食はまず大目に見て勘弁するとしたところで、生存上直接の利害もないところまでこの調子で押していくのはちっとも合点(がてん)がいかぬ。第一、頭の毛などというものは自然に生えるものだから、放っておく方がもっとも簡便で当人のためになるだろうと思うのに、彼らはいらぬ算段をして種々雑多な恰好をこしらえて得意である。
 坊主とか自称するものは、いつ見ても頭を青くしている。暑いとその上へ日傘をかぶる。寒いと頭巾(ずきん)で包む。これではなんのために青い物を出しているのか主意が立たんではないか。
 そうかと思うと、櫛とか称する無意味な鋸様(のこぎりよう)の道具を用いて頭の毛を左右に等分して嬉しがってるのもある。等分にしないと、七分三分の割合で頭蓋骨の上へ人為的の区画を立てる。中にはこの仕切りがつむじを通り過して後ろまではみ出しているのがある。まるで贋造(がんぞう/本物に似せて作ること)の芭蕉(ばしょう)の葉のようだ。
 その次には脳天を平らに刈って左右は真っすぐに切り落とす。丸い頭へ四角な枠をはめているから、植木屋を入れた杉垣根の写生としか受け取れない。このほか五分刈り、三分刈り、一分刈りさえあるという話だから、しまいには頭の裏まで刈りこんでマイナス一分刈り、マイナス三分刈りなどという新奇な奴が流行するかもしれない。とにかくそんなに憂き身をやつしてどうするつもりかしらん。
 第一、足が四本あるのに二本しか使わないというのから贅沢だ。四本で歩けばそれだけはか(距離)もいく訳だのに、いつでも二本で済まして、残る二本は到来の棒鱈(ぼうだら)のように手持ち無沙汰にぶら下げているのは馬鹿馬鹿しい。



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《第六》 暑い暑い3



 これで見ると、人間はよほど猫より閑(ひま)なもので、退屈のあまり、かようないたずらを考案して楽しんでいるものと察せられる。ただおかしいのはこの閑人(ひまじん)が、よるとさわると多忙だ多忙だと触れまわるのみならず、その顔色がいかにも多忙らしい、悪くすると多忙に食い殺されはしまいかと思われるほどこせついている。彼らのあるものは吾輩を見て、時々あんなになったら気楽でよかろうなどと言うが、気楽でよければなるがよい。そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだ訳でもなかろう。自分で勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいと言うのは自分で火をガンガン起こして暑い暑いと言うようなものだ。猫だって頭の刈り方を二十通りも考え出す日には、こう気楽にしてはおられんさ。気楽になりたければ吾輩のように夏でも毛衣を着て通されるだけの修業をするがよろしい。
 ――とは言うものの少々熱い。毛衣ではまったく暑過ぎる。



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《第六》 迷亭来宅



 これでは一手専売の昼寝もできない。
 何かないかな。永らく人間社会の観察を怠ったから、今日は久しぶりで彼らが酔興にあくせくする様子を拝見しようかと考えてみたが、あいにく主人はこの点に関してすこぶる猫に近い性分である。昼寝は吾輩に劣らぬくらいやるし、ことに暑中休暇後になってからは何一つ人間らしい仕事をせんので、いくら観察をしてもいっこう観察する張り合いがない。こんな時に迷亭でも来ると胃弱性の皮膚も幾分か反応を呈して、しばらくでも猫から遠ざかるだろうに。先生、もう来てもいい時だと思っていると、誰とも知らず風呂場でザアザア水を浴びるものがある。水を浴びる音ばかりではない、折々大きな声で相の手を入れている。「いや結構」「どうも良い心持ちだ」「もう一杯」などと、うちじゅうに響き渡るような声を出す。主人のうちへ来てこんな大きな声とこんな無作法な真似をやるものはほかにはない。迷亭にきまっている。



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《第六》 迷亭来宅2


画/村上豊

 いよいよ来たな、これで今日半日はつぶせると思っていると、先生、汗を拭いて肩を入れて例のごとく座敷までずかずか上がって来て「奥さん、苦沙弥君はどうしました」と呼ばわりながら帽子を畳の上へ放り出す。細君は隣座敷で針箱のそばへ突っ伏していい心持ちに寝ている最中に、ワンワンとなんだか鼓膜へ答えるほどの響きがしたのではっと驚いて、覚めぬ目をわざとみはって座敷へ出て来ると、迷亭が薩摩上布(さつまじょうふ)を着て勝手な所へ陣取ってしきりに扇使いをしている。
「おや、いらしゃいまし」と言ったが少々狼狽(ろうばい)の気味で「ちっとも存じませんでした」と鼻の頭へ汗をかいたままお辞儀をする。
「いえ、今、来たばかりなんですよ。今、風呂場でおさんに水をかけてもらってね。ようやく生き帰ったところで――どうも暑いじゃありませんか」
「この二、三日は、ただじっとしておりましても汗が出るくらいで、大変お暑うございます。――でも、お変わりもございませんで」と細君は依然として鼻の汗をとらない。
「ええ、ありがとう。なに暑いくらいでそんなに変わりゃしませんや。しかしこの暑さは別物ですよ。どうも体がだるくってね」
「私なども、ついに昼寝などをいたした事がないんでございますが、こう暑いとつい――」
「やりますかね。いいですよ、昼寝られて、夜寝られりゃ、こんな結構な事はないでさあ」と、あいかわらずのんきな事を並べてみたがそれだけでは不足とみえて「私なんざ、寝たくない質(たち)でね。苦沙弥君などのように、来るたんびに寝ている人を見ると羨ましいですよ。もっとも胃弱にこの暑さはこたえるからね。丈夫な人でも今日なんかは首を肩の上にのせてるのが退儀でさあ。さればと言って、のってる以上はもぎとる訳にもいかずね」と迷亭君、いつになく首の処置に窮している。「奥さんなんざ首の上へまだのっけておくものがあるんだから、座っちゃいられないはずだ。髷(まげ)の重みだけでも横になりたくなりますよ」と言うと、細君は今まで寝ていたのが髷の恰好から露見したと思って「ホホホ。口の悪い」と言いながら頭をいじってみる。


「薩摩上布」
沖縄県宮古・八重山の諸島に産する上質の麻織物。苧麻(ちょま)を手紡ぎにして織ったもの。もと琉球からの貢納物で、薩摩藩が販売したゆえに薩摩の冠がつく。
「麻」は古代から世界各地で利用されており、約20種ほど存在する。 大麻、亜麻(あま)、苧麻(ちょま)、ジュート麻、マニラ麻、サイザル麻など。


※迷亭の“意表を突く登場っぷり”連続ギャグもこの章でおしまいである。風呂で水を浴びている声が聞こえてくるあたりは漱石先生、大いにウケを狙ったとみた。(J・KOYAMA)

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《第六》 玉子のフライ



 迷亭はそんな事には頓着なく「奥さん、昨日はね、屋根の上で玉子のフライをしてみましたよ」と妙な事を言う。
「フライをどうなさったんでございます」
「屋根の瓦があまりみごとに焼けていましたから、ただ置くのももったいないと思ってね、バターを溶かして玉子を落としたんでさあ」
「あらまあ」
「ところがやっぱり天日(てんぴ)は思うようにいきませんや。なかなか半熟にならないから、下へおりて新聞を読んでいると客が来たもんだからつい忘れてしまって、今朝になって急に思い出して、もう大丈夫だろうと上がって見たらね」
「どうなっておりました」
「半熟どころか、すっかり流れてしまいました」
「おやおや」と細君は八の字を寄せながら感嘆した。



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《第六》 ハーキュリスの牛



「しかし土用中あんなに涼しくって、今頃から暑くなるのは不思議ですね」
「ほんとでございますよ。せんだってじゅうは単衣(ひとえ)では寒いくらいでございましたのに、一昨日から急に暑くなりましてね」
「カニなら横に這うところだが今年の気候はあとびさりをするんですよ。倒行(とうこう)して逆施(げきし)す(順序を逆に行うこと)また可ならずやと言うような事を言っているかもしれない」
「なんでござんす、それは」
「いえ、なんでもないのです。どうもこの気候の逆戻りをするところはまるでハーキュリス(ヘラクレス)の牛ですよ」と図に乗っていよいよ変ちきりんな事を言うと、果たせるかな細君はわからない。しかし最前の『倒行して逆施す』で少々懲(こ)りているから、今度はただ「へえー」と言ったのみで問い返さなかった。これを問い返されないと迷亭はせっかく持ち出した甲斐(かい)がない。「奥さん、ハーキュリスの牛をご存じですか」
「そんな牛は存じませんわ」


「倒行して逆施す」
【史記】『伍子胥伝』
「吾れ日暮れて途遠し、吾れ故に倒行してこれを逆施す」

ハーキュリス
ヘラクレス Herakles (英/Hercules)
ギリシア神話の英雄。ゼウスとアルクメネの子。半神半人。武勇に秀で、様々な冒険譚がある。



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《第六》 ハーキュリスの牛2



「ご存じないですか、ちょっと講釈をしましょうか」と言うと、細君もそれには及びませんとも言い兼ねたものだから「ええ」と言った。
「昔、ハーキュリスが牛を引っ張って来たんです」
「そのハーキュリスというのは牛飼いででもござんすか」
「牛飼いじゃありませんよ。牛飼いやいろは(東京各地に支店を持っていた、大きな牛豚肉料理店)の亭主じゃありません。その節はギリシアにまだ牛肉屋が一軒もない時分の事ですからね」
「あら、ギリシアのお話なの? そんならそうおっしゃればいいのに」と細君はギリシアという国名だけは心得ている。
「だってハーキュリスじゃありませんか」
「ハーキュリスならギリシアなんですか」
「ええ。ハーキュリスはギリシアの英雄でさあ」
「どうりで知らないと思いました。それでその男がどうしたんで――」
「その男がね、奥さんみたように眠くなってぐうぐう寝ている――」
「あら、いやだ」
「寝ている間に、ヴァルカンの子が来ましてね」
「ヴァルカンてなんです」
「ヴァルカンは鍛冶屋(かじや)ですよ。この鍛冶屋のせがれがその牛を盗んだんでさあ。ところがね。牛のしっぽを持ってぐいぐい引いて行ったもんだから、ハーキュリスが目を覚まして『牛やーい牛やーい』と尋ねて歩いてもわからないんです。わからないはずでさあ。牛の足跡をつけたって前の方へ歩かして連れて行ったんじゃありませんもの、後ろへ後ろへと引きずって行ったんですからね。鍛冶屋のせがれにしては大出来ですよ」と迷亭先生はすでに天気の話は忘れている。


ヴァルカン
ウルカヌス Vulcanus(英/Vulcan)
ローマ神話の火と鍛冶の神。のちに、ギリシア神話の鍛冶神ヘパイストス Hephaistos と同一視された。



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《第六》 主人は午睡



「時にご主人はどうしました。あいかわらず午睡(ひるね)ですかね。午睡も支那人の詩に出てくると風流だが、苦沙弥君のように日課としてやるのは少々俗気がありますね。なんの事あない、毎日少しずつ死んでみるようなものですぜ。奥さん、お手数だがちょっと起こしていらっしゃい」と催促すると細君は同感とみえて「ええ、ほんとにあれでは困ります。第一あなた、からだが悪くなるばかりですから。今ごはんをいただいたばかりだのに」と立ちかけると迷亭先生は「奥さん。ごはんといやあ、僕はまだごはんをいただかないんですがね」と平気な顔をして聞きもせぬ事を吹聴(ふいちょう)する。
「おやまあ、時分どきだのにちっとも気がつきませんで――それじゃ、何もございませんがお茶漬けでも」
「いえ、お茶漬けなんかちょうだいしなくってもいいですよ」
「それでもあなた、どうせお口に合うようなものはございませんが」と細君少々厭味を並べる。
 迷亭は悟ったもので「いえ、お茶漬けでもお湯漬けでもごめんこうむるんです。今、途中で御馳走をあつらえてきましたから、そいつをひとつここでいただきますよ」と、とうてい素人にはできそうもない事を述べる。
 細君はたった一言「まあ!」と言ったが、その『まあ』のうちには、驚いた『まあ』と、気を悪くした『まあ』と、手数が省けてありがたいという『まあ』が合併している。



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《第六》 迷亭のパナマ帽



 ところへ主人が、いつになくあまりやかましいので、寝つきかかった目を逆(さか)に扱(こ)かれたような心持ちで、ふらふらと書斎から出て来る。
「あいかわらずやかましい男だ。せっかくいい心持ちに寝ようとしたところを」と、あくびまじりに仏頂面をする。
「いや、お目覚めかね。鳳眠(ほうみん)を驚かし奉ってはなはだあいすまん。しかしたまにはよかろう。さあ、座りたまえ」と、どっちが客だかわからぬ挨拶をする。
 主人は無言のまま座に着いて、寄せ木細工の巻煙草入れから「朝日」を一本出してすぱすぱ吸い始めたが、ふと向こうの隅に転がっている迷亭の帽子に目をつけて「君、帽子を買ったね」と言った。
 迷亭はすぐさま「どうだい」と自慢らしく主人と細君の前に差し出す。
「まあ、きれいだこと。大変目が細かくって柔らかいんですね」と細君はしきりに撫でまわす。
「奥さん、この帽子は重宝ですよ、どうでも言う事を聞きますからね」と、ゲンコツをかためてパナマ(南アメリカ産のパナマ草の若葉を細く裂き、白くさらして編んだ夏帽子)の横ッ腹をぽかりと張りつけると、なるほど意のごとく拳(こぶし)ほどな穴があいた。細君が「へえ」と驚く間もなく、今度はゲンコツを裏側へ入れてうんと突っ張ると、釜の頭がぽかりととんがる。次には帽子を取って鍔(つば)と鍔とを両側から圧(お)しつぶしてみせる。潰れた帽子は麺棒で延ばした蕎麦のように平たくなる。それをかたっぱしから蓆(むしろ)でも巻くごとくぐるぐる畳む。「どうですこの通り」と丸めた帽子を懐中へ入れてみせる。
「不思議です事ねえ」と細君は帰天斎正一(きてんさいしょういち/西洋奇術師)の手品でも見物しているように感嘆すると、迷亭もその気になったものとみえて、右から懐中に収めた帽子をわざと左の袖口から引っ張り出して「どこにも傷はありません」と元のごとくに直して、人さし指の先へ釜の底を載せてくるくるとまわす。もうやめるかと思ったら最後にぽんと後ろへ投げてその上へどっさりと尻餅をついた。



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