南側に檜(ひのき)が幅を利かしているごとく、北側には桐(きり)の木が七、八本行列している。もう周囲一尺くらいにのびているから、下駄屋さえ連れてくればいい値になるんだが、借家の悲しさには、いくら気がついても実行はできん。主人に対しても気の毒である。
せんだって学校の小使いが来て枝を一本切って行ったが、その次に来た時は新しい桐の俎下駄(まないたげた/
男ものの大きな下駄)をはいて、『この間の枝でこしらえました』と聞きもせんのに吹聴(ふいちょう)していた。ずるい奴だ。
桐はあるが、吾輩及び主人家族にとっては一文にもならない桐である。
※『玉を抱いて罪あり』(玉(宝石の一種)のような貴重なものを持てば、罪のないものにも不幸が訪れる)という古語があるそうだが、これは『桐を生やして銭(ぜに)なし』と言ってもしかるべきもので、いわゆる宝の持ち腐れである。愚なるものは主人にあらず、吾輩にあらず、家主の伝兵衛である。『いないかな、いないかな、下駄屋はいないかな』と桐の方で催促しているのに知らん顔をして家賃ばかり取り立てにくる。
吾輩は別に伝兵衛に恨みもないから彼の悪口をこのくらいにして、本題に戻ってこの空き地が騒動の種であるという珍譚(ちんだん)を紹介つかまつるが、決して主人に言ってはいけない。これぎりの話である。
※『玉を抱いて罪あり』
【『左伝』】桓公十年のくだりに周のことわざとして引用されている。