「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第九》 主人はあばた面


画/小沢良吉

 主人はあばたヅラ(痘痕面)である。御維新前はあばたもだいぶ流行ったものだそうだが、日英同盟のこんにちから見ると、こんな顔はいささか時候後れの感がある。あばたの衰退は人口の増殖と反比例して、近き将来にはまったくその跡を絶つに至るだろうとは、医学上の統計から精密に割り出されたる結論であって、吾輩のごとき猫といえどもちっとも疑いをさしはさむ余地のないほどの名論である。現今、地球上にあばたっツラを有して生息している人間は何人くらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算してみると、猫には一匹もない。人間にはたった一人ある。しかしてその一人がすなわち主人である。はなはだ気の毒である。


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《第九》 主人はあばた面2


映画(1936) より

 吾輩は主人の顔を見るたびに考える。まあ、なんの因果でこんな妙な顔をして臆面なく二十世紀の空気を呼吸しているのだろう。昔なら少しは幅も利いたかしらんが、あらゆるあばたが二の腕へ立ち退(の)きを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬の上へ陣取って頑として動かないのは自慢にならんのみか、かえってあばたの体面に関する訳だ。できる事なら今のうち取り払ったらよさそうなものだ。あばた自身だって心細いに違いない。それとも党勢不振の際、誓って落日を中天に挽回せずんばやまず、という意気ごみで、あんなに横風に顔一面を占領しているのかしらん。そうするとこのあばたは決して軽蔑の意をもって見るべきものでない。滔々(とうとう/物事が一つの方向へよどみなく流れ向かうさま)たる流俗に抗する万古不磨(ばんこふま/いつまでも変わらないこと)の穴の集合体であって、おおいに我々の尊敬に値するでこぼこと言ってよろしい。ただ、きたならしいのが欠点である。


「あらゆるあばたが二の腕へ立ち退きを命ぜられた昨今」
漱石自身も、4歳の頃の種痘(天然痘ワクチン)の副作用により、その痕(あと)が鼻の頭や頬などに残っていた。
種痘は二の腕の上方にされたので、うまくワクチンが働けば、痕はその部分だけに残ることになる。
種痘の全国実施は、明治3年4月24日の太政官布告(313号)より。


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《第九》 主人はあばた面3



 主人の子供のときに牛込の山伏町に浅田宗伯(あさだそうはく)という漢法の名医があったが、この老人が病家を見舞うときには必ずかごに乗ってそろりそろりと参られたそうだ。ところが宗伯老が亡くなられてその養子の代になったら、かごがたちまち人力車に変じた。だから養子が死んでそのまた養子が跡をついだら、葛根湯がアンチピリン(ピリン系解熱鎮痛薬)に化けるかもしれない。かごに乗って東京市中を練りあるくのは、宗伯老の当時ですらあまりみっともいいものでは無かった。こんな真似をしてすましていたものは旧弊な亡者と、汽車へ積みこまれる豚と、宗伯老とのみであった。
 主人のあばたもそのふるわざる事においては宗伯老のかごと一般で、はたから見ると気の毒なくらいだが、漢法医にも劣らざる頑固な主人は依然として孤城落日(【王維「送韋評事詩」から】孤立無援の城と、西に傾く落日。勢いが衰えて、ひどく心細く頼りないことのたとえ)あばたを天下に曝露(ばくろ)しつつ毎日登校してリードルを教えている。
 かくのごとき前世紀の記念を満面に刻して教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外におおいなる訓戒を垂れつつあるに相違ない。彼は「猿が手を持つ」を反覆するよりも「あばたの顔面に及ぼす影響」という大問題を造作もなく解釈して、不言の間(かん)にその答案を生徒に与えつつある。もし主人のような人間が教師として存在しなくなった暁には、彼ら生徒はこの問題を研究するために図書館もしくは博物館へ駆けつけて、我々がミイラによってエジプト人をほうふつすると同程度の労力を費やさねばならぬ。この点から見ると主人のあばたも、めいめいのうちに妙な功徳(くどく)を施こしている。


「猿が手を持つ」
"The Ape has hands"
当時の中学校用英語の教科書として用いられた"The First Reader of the School and Family Series"(Marcius Willson)、"The English Reader for Japanese Scholars 第一巻"(J.Kuruta 来田丈太郎)には、"The Ape has hands"の一文が最初の英語文として示されており、当時の中学生が最初に習う英語文としてよく知られていたものと思われる。今で言う"This is a pen"のようなものか。


※実際の宗伯邸は牛込横寺町五十三番地にあった。フランス公使の難病を治し、大奥に仕え(天璋院様の侍医でもあった)、清国・韓国公使も診断を乞うたという。
明治27年(1894)、81歳の高齢で死去。宗伯の名はこんにちも浅田飴の創始者として残っている。(J・KOYAMA)



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《第九》 主人はあばた面4



 もっとも主人はこの功徳を施こすために顔一面に疱瘡(ほうそう)を種(う)えつけたのではない。これでも実は種(う)え疱瘡(種痘のこと。天然痘ワクチン)をしたのである。不幸にして腕に種えたと思ったのが、いつの間にか顔へ伝染していたのである。その頃は子供の事で今のように色気もなにもなかったものだから、痒い痒いと言いながらむやみに顔中ひっかいたのだそうだ。ちょうど噴火山が破裂して溶岩が顔の上を流れたようなもので、親が生んでくれた顔を台なしにしてしまった。主人は折々細君に向かって『疱瘡をせぬうちは玉のような男子であった』と言っている。『浅草の観音様で西洋人が振り返って見たくらいきれいだった』などと自慢する事さえある。なるほど、そうかもしれない。ただ誰も保証人のいないのが残念である。


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《第九》 主人はあばた面5


これは浅草の勧工場。石黒敬章編「総天然色写眞版なつかしき東京」(1992 講談社)より

 いくら功徳になっても訓戒になっても、きたない者はやっぱりきたないものだから、物心がついて以来というもの、主人はおおいにあばたについて心配し出して、あらゆる手段を尽くしてこの醜態を揉みつぶそうとした。ところが宗伯老のかごと違って、いやになったからというて、そう急に打ちやられるものではない。今だに歴然と残っている。この歴然が多少気にかかるとみえて、主人は往来を歩くたびごとにあばたヅラを勘定して歩くそうだ。今日何人あばたに出逢って、その主は男か女か、その場所は小川町の勧工場(かんこうば)であるか、上野の公園であるか、ことごとく彼の日記につけこんである。


「小川町の勧工場」
神田小川町(現在の千代田区神田神保町)にあった東明館。「勧工場」は政府の勧業政策によってできた常設の商品陳列所で日用品・雑貨などを販売した。名店街風の変形デパートといった体で、今日のデパートの前身というべきもの。
明治11年に始まり、20年代を経て30年代にぞくぞくと創設され多くの客をひきつけた。


※小川町の勧工場は正確には小川勧業場。神田小川町十六にあった。(J・KOYAMA)


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《第九》 主人はあばた面6


映画(1936) より

 彼はあばたに関する知識においては決して誰にも譲るまいと確信している。せんだって、ある洋行帰りの友人が来た折なぞは、「君、西洋人にはあばたがあるかな」と聞いたくらいだ。するとその友人が「そうだな」と首を曲げながらよほど考えた後で「まあ、めったにないね」と言ったら、主人は「めったになくっても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返した。友人は気のない顔で「あっても乞食か立ちん坊(明治から大正初期、坂の下に立って荷車や人力車の後押しなどをして金をもらっていた人)だよ。教育のある人にはないようだ」と答えたら、主人は「そうかなあ、日本とは少し違うね」と言った。


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《第九》 あれから七日目


画/岩崎年勝

 哲学者の意見によって落雲館との喧嘩を思い留まった主人は、その後、書斎に立てこもってしきりに何か考えている。彼の忠告をいれて静坐のうちに霊活なる精神を消極的に修養するつもりかもしれないが、元来が気の小さな人間のくせに、ああ陰気な懐手(ふところで)ばかりしていてはろくな結果の出ようはずがない。それより英書でも質に入れて芸者から喇叭節(ラッパぶし)でも習った方がはるかにマシだとまでは気がついたが、あんな偏屈な男はとうてい猫の忠告などを聞く気遣いはないから、まあ勝手にさせたらよかろうと五、六日は近寄りもせずに暮らした。
 今日はあれからちょうど七日目である。禅家などでは一七日(いちしちにち)を限って大悟して見せるなどと凄まじい勢いで結跏(けっか/結跏趺坐(けっかふざ)の略。「跏」は足の裏、「趺」は足の甲の意。両足の甲をそれぞれ反対のももの上にのせて押さえる形の座り方。禅定(ぜんじょう)修行の者が行う。蓮華坐(れんげざ))する連中もある事だから、うちの主人もどうかなったろう、死ぬか生きるかなんとか片づいたろうと、のそのそ縁側から書斎の入口まで来て室内の動静を偵察に及んだ。


「喇叭節」
「とことっとっと」というラッパの擬音を囃子ことばに取り入れ、明治38、39年頃にとても流行した唄。


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《第九》 稀代の机


映画(1936) より

 書斎は南向きの六畳で、日当りのいい所に大きな机が据えてある。ただ大きな机ではわかるまい。長さ六尺(約180cm)、幅三尺八寸(約114cm)、高さこれにかなうという大きな机である。むろんでき合いのものではない。近所の建具屋に談判して寝台兼机として製造せしめたる稀代(きたい/世にも稀な)の品物である。なんの故にこんな大きな机を新調して、またなんの故にその上に寝てみようなどという了見を起こしたものか、本人に聞いてみない事だからとんとわからない。ほんの一時のでき心で、かかる難物をかつぎこんだのかもしれず、あるいはことによると、一種の精神病者において我々がしばしば見いだすごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台を勝手に結びつけたものかもしれない。とにかく奇抜な考えである。ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点である。吾輩はかつて主人がこの机の上へ昼寝をして寝返りをする拍子に縁側へ転げ落ちたのを見た事がある。それ以来この机は決して寝台に転用されないようである。
 机の前には薄っぺらなメリンス(薄く柔らかい毛織物。モスリン)の座布団があって、煙草の火で焼けた穴が三つほどかたまってる。中から見える綿は薄黒い。この座布団の上に後ろ向きにかしこまっているのが主人である。鼠色によごれた兵児帯(へこおび)を、こま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れかかっている。この帯へじゃれついていきなり頭を張られたのはこないだの事である。めったに寄りつくべき帯ではない。


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《第九》 主人と鏡


画/柳井愛子

 まだ考えているのか、下手の考え(「休むに似たり」が省略されている)というたとえもあるのにと、後ろからのぞきこんでみると、机の上でいやにぴかぴかと光ったものがある。吾輩は思わず続け様に二、三度まばたきをしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢してじっと光るものを見つめてやった。するとこの光は机の上で動いている鏡から出るものだという事がわかった。しかし主人はなんのために書斎で鏡などを振りまわしているのであろう。鏡といえば風呂場にあるにきまっている。現に吾輩は、今朝風呂場でこの鏡を見たのだ。この鏡ととくに言うのは、主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗った後で髪を分けるときにもこの鏡を用いる。――主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかもしれぬが、実際彼は他の事に無精なるだけ、それだけ頭を丁寧にする。吾輩が当家に参ってから今に至るまで、主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈りに刈りこんだ事はない。必ず二寸くらいの長さにして、それをごたいそうに左の方で分けるのみか、右の端をちょっと跳ね返してすましている。これも精神病の徴候かもしれない。こんな気取った分け方はこの机といっこう調和しないと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどの事でないから、誰もなんとも言わない。本人も得意である。


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《第九》 髪の長い訳


画/岩崎年勝

 分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったら実はこういう訳である。彼のあばたは単に彼の顔を侵蝕せるのみならず、とっくの昔に脳天まで食いこんでいるのだそうだ。だからもし普通の人のように五分刈りや三分刈りにすると、短かい毛の根本から何十となくあばたがあらわれてくる。いくら撫でてもさすってもぽつぽつがとれない。枯れ野にホタルを放ったようなもので風流かもしれないが、細君の御意(ぎょい)に入らんのはもちろんの事である。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非を曝(あば)くにも当たらぬ訳だ。なろう事なら顔まで毛を生やして、こっちのあばたも内済(ないさい/表沙汰にしないで内々で事をすませること)にしたいくらいなところだから、ただで生える毛を銭(ぜに)を出して刈りこませて、私は頭蓋骨の上まで天然痘(てんねんとう)にやられましたよと吹聴(ふいちょう)する必要はあるまい。――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪を分ける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にあるゆえんで、而して(しこうして)その鏡が一つしかないという事実である。


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