「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第拾一》 対局中の二人


画/柳井愛子

 床の間の前に、碁盤を中に据えて迷亭君と独仙君が対座している。
「ただはやらない。負けた方が何か奢(おご)るんだぜ。いいかい」と迷亭君が念を押すと、独仙君は例のごとくヤギヒゲを引っ張りながら、こう言った。
「そんな事をすると、せっかくの清戯(せいぎ)を俗了してしまう(高尚な遊びを俗悪なものにしてしまう)。賭けなどで勝負に心を奪われてはおもしろくない。成敗を度外において、白雲の自然に岫(しゅう/山の峰)を出でて、冉々(ぜんぜん/だんだん進行するさま)たるごとき心持ち(雲が自然に山の峰を出て、ゆったりと移りゆくような心持ち)で一局を了してこそ、個中(こちゅう/【禅語】ここ。この内)の味わいはわかるものだよ」
「また来たね。そんな仙骨(仙人のように浮世離れした人物)を相手にしちゃ少々骨が折れ過ぎる。宛然(えんぜん/そっくりそのままであるさま)たる列仙伝中の人物だね」
『無絃(むげん)の素琴(そきん)を弾じ』さ」
「無線の電信をかけ、かね」
「とにかく、やろう」
「君が白を持つのかい」
「どっちでも構わない」
「さすがに仙人だけあって鷹揚(おうよう/小さなことにこだわらずゆったりとしているさま)だ。君が白なら自然の順序として僕は黒だね。さあ、来たまえ。どこからでも来たまえ」
「黒から打つのが法則だよ」
「なるほど。しからば謙遜して、定石(じょうせき/囲碁で、昔から研究されてきて最善とされる、きまった石の打ち方)にここいらから行こう」
「定石にそんなのはないよ」
「なくっても構わない。新奇発明の定石だ」


「白雲の自然に岫を出でて」
陶淵明の『帰来来兮の辞』に「雲は無心に以て岫を出で、鳥は飛ぶに倦きて還るを知る」とある。
「岫」は、本来は「山の穴」のことだが、詩歌の中では「山の峰」の意に用いられる。

「列仙伝」
漢の劉向撰といわれる中国古代の仙人71人の伝を記したもの。2巻。

『無絃の素琴を弾じ』
「素琴」は飾りのない琴。転じて無弦琴のこと。
昭明太子の『陶靖説伝』に、陶淵明は楽器は弾けなかったが無絃琴を一つ持っていて、酔ってよい気分になるとそれを撫でさすり、音律にとらわれない無声の響きに心を遊ばせた、とある。
エアギターならぬ、エアハープ。(冗談です)


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《第拾一》 四角の板に黒白の石



 吾輩は世間が狭いから、碁盤というものは近来になってはじめて拝見したのだが、考えれば考えるほど妙にできている。広くもない四角な板を狭苦しく四角に仕切って、目がくらむほどごたごたと黒白の石をならべる。そうして勝ったとか負けたとか、死んだとか生きたとか、あぶら汗を流して騒いでいる。たかが一尺四方くらいの面積だ。猫の前足でかき散らしてもめちゃめちゃになる。引き寄せて結べば草の庵にて、解くればもとの野原なりけり。いらざるいたずらだ。懐手(ふところで)をして盤をながめている方がはるかに気楽である。
 それも最初の三、四十目(もく)は、石の並べ方では別段目障りにもならないが、いざ天下わけ目という間際にのぞいてみると、いやはやお気の毒な有り様だ。白と黒が盤からこぼれ落ちるまでに押し合って、お互いにギューギュー言っている。窮屈だからといって、隣の奴にどいてもらう訳にもいかず、邪魔だと申して前の先生に退去を命ずる権利もなし、天命とあきらめてじっとして身動きもせず、すくんでいるよりほかにどうする事もできない。碁を発明したものは人間で、人間の嗜好が局面にあらわれるものとすれば、窮屈なる碁石の運命はせせこましい人間の性質を代表していると言ってもさしつかえない。人間の性質が碁石の運命で推知(すいち)する事ができるものとすれば、人間とは天高海濶(てんこうかいかつ/天地の広大なさま)の世界を我からと縮めて、己の立つ両足以外にはどうあっても踏み出せぬように、小刀細工(こがたなざいく)で自分の領分に縄張りをするのが好きなんだと断言せざるを得ない。人間とは強(し)いて苦痛を求めるものであると一言に評してもよかろう。


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《第拾一》 暑苦しい碁


画/小沢良吉

 のんきなる迷亭君と、禅機(ぜんき/禅における無我の境地から出る働き)ある独仙君とは、どういう了見か、今日に限って戸棚から古碁盤を引きずり出して、この暑苦しいいたずらを始めたのである。さすがにご両人おそろいの事だから、最初のうちは各自任意の行動をとって、盤の上を白石と黒石が自由自在に飛び交わしていたが、盤の広さには限りがあって、縦横の目盛りは一手ごとに埋まっていくのだから、いかにのんきでも、いかに禅機があっても、苦しくなるのは当たり前である。


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《第拾一》 本因坊の流儀じゃ


本因坊家第14世跡目、本因坊秀策。“碁聖”

「迷亭君、君の碁は乱暴だよ。そんな所へ入ってくる法はない」
「禅坊主の碁にはこんな法はないかもしれないが、本因坊(ほんいんぼう/囲碁の一流派。碁所四家の筆頭)の流儀じゃ、あるんだからしかたがないさ」
「しかし死ぬばかりだぜ」
『臣、死をだも辞せず、いわんや〓肩【「彑」の下に、「比」の間に「矢」】(ていけん/豚の肩肉)をや』(私は碁石が死ぬことなど恐れませんよ)、と。一つ、こう行くかな」
「そうおいでになった、と。よろしい。『薫風、南(みんなみ)より来たって、殿閣(宮殿)微涼を生ず』(初夏に吹く爽やかな南風が宮殿いっぱいに快適な涼しさを運んでくれる)。こう、継いでおけば大丈夫なものだ」
「おや、継いだのは、さすがにえらい。まさか、継ぐ気遣(きづか)いはなかろうと思った。ついでくりゃるな八幡鐘(はちまんがね)をと、こうやったら、どうするかね」
「どうするもこうするもないさ。一剣天に倚(よ)って寒し(迷いを捨てて決断すれば、頭上の剣はふりおろすよりほかはない)。――ええ、面倒だ。思い切って、切ってしまえ」


『臣、死をだも辞せず、いわんや〓【「彑」の下に、「比」の間に「矢」】肩をや』
【史記】『項羽本紀』の「鴻門の会」の故事を踏まえ、碁石の生き死にに合わせて言った言葉。
だが本来は、『臣、死をだも辞せず、いわんやをや」(私は死すら恐れませんのに、どうして酒を断る理由がありましょうか)となるところ。つまり、あいかわらずの迷亭のもじり言葉で、「私は碁石の死などおそれませんよ」といった意味合い。(囲碁の石は、対戦中、『生きる』(活きる)『死ぬ』、と表現される)
「〓肩【「彑」の下に、「比」の間に「矢」】(ていけん)」という言葉は、「鴻門の会」の故事を連想しやすくするために用いただけと思われます。

「薫風、南より来たって、殿閣微涼を生ず」
【唐詩記事】文宗(皇帝)と臣下の柳公権との聯句(漢詩で、二人以上の人が1句ないし数句ずつ作り、それを集めて1編の詩とするもの)で、文宗が「人、皆、炎熱に苦しむ。我は夏日の長きを愛す」と詠じたものに続けて、柳公権が「薫風、南より来たる。殿閣に微涼を生ず」と詠じた。→「世の中の人間が、熱い夏に苦しんでいるが、私は日の長い夏が大好きなのだ」と言ったらば、臣下が「いい南風ですね。この城に微かな涼を呼んでくれます」と続けた。
感じ方によって、同じ風でも「炎熱の風」と感じたり「薫風」と感じたりする。

「ついでくりゃるな八幡鐘を」
「継ぐ」と「(鐘を)つく」をかけたしゃれ。
八幡鐘は深川富ヶ岡八幡宮の鐘。江戸時代に時の鐘としてついた。
【清元『待人』文政5年】「ついてくりゃるな八幡鐘よ、可愛い男といちゃつきは、うまい仲町じゃないかいな」

「一剣天に倚って寒し」
【会元続略】蒙古襲来の際、無学禅師が北条時宗に言った言葉「両頭裁断すれば、一剣天に倚って寒し」から。
「あれかこれかの迷いを捨て去れば、物事の正邪善悪を判断する天与の判断力が、精神宇宙を貫いて存在しているのを感じることができる」。


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《第拾一》 ずうずうしいぜ、おい



「やや、大変大変。そこを切られちゃ死んでしまう。おい、冗談じゃない。ちょっと待った」
「それだから、さっきから言わん事じゃない。こうなってるところへは入れるものじゃないんだ」
「入って失敬つかまつり候。ちょっとこの白をとってくれたまえ」
「それも待つのかい」
「ついでにその隣のも引き揚げてみてくれたまえ」
「ずうずうしいぜ、おい」
Do you see the boy (『ずうずうしいぜ、おい』をソラミミ的に英語変換して)か。――なに、君と僕の間柄じゃないか。そんな水臭い事を言わずに、引き揚げてくれたまえな。死ぬか生きるかという場合だ。『しばらく、しばらく』って花道から駆け出してくるところだよ」
「そんな事は僕は知らんよ」
「知らなくってもいいから、ちょっとどけたまえ」
「君、さっきから、六ぺん待ったをしたじゃないか」
「記憶のいい男だな。向後(こうご)は旧に倍し待ったをつかまつり候。だからちょっとどけたまえと言うのだあね。君もよっぽど強情だね。座禅なんかしたら、もう少しさばけそうなものだ」


「Do you see the boy」
漱石は「the」を「ゼ」と表記することが多い。この「Do you see the boy」という英文は、当時の中学用英語読本の初級編に頻繁に見られる表現。

「『しばらく、しばらく』って花道から駆け出してくるところ」
歌舞伎十八番「暫(しばらく)」などからきた劇の場面。主役が「しばらく」と言って現れ、悪人どもをこらしめる。


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《第拾一》 アーメン


画/アルフォンス・ミュシャ

「しかしこの石でも殺さなければ、僕の方は少し負けになりそうだから……」
「君は最初から負けても構わない流じゃないか」
「僕は負けても構わないが、君には勝たしたくない」
「とんだ悟道だ。あいかわらず春風影裏(しゅうんぷうえいり)に電光(でんこう)をきってるね」
「春風影裏じゃない、電光影裏だよ。君のは逆さだ」
「ハハハハ。もうたいてい逆さになっていい時分だと思ったら、やはりたしかなところがあるね。それじゃしかたがない。あきらめるかな」
生死事大(しょうしじだい)、無常迅速(むじょうじんそく)(【禅語】生死は自分自身の一大事であり、無常の事実は迅速に迫ってくるので、待ったなしの問題である)、あきらめるさ」
「アーメン」と迷亭先生、今度はまるで関係のない方面へぴしゃりと一石を下した。


「生死事大、無常迅速」
『六祖壇経』に「覚曰く、生死事大無常迅速なり」。
『園悟心要』に「常に生死事大無常迅速を以て意となして、しばらくもほしいまますべからず」。


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《第拾一》 寒月の鰹節


画/柳井愛子

 床の間の前で迷亭君と独仙君が一生懸命に勝敗を争っていると、座敷の入口には寒月君と東風君が相並んで、そのそばに主人が黄色い顔をして座っている。寒月君の前に鰹節(かつぶし)が三本、裸のまま畳の上に行儀よく排列してあるのは奇観である。
 この鰹節の出処(しゅっしょ)は寒月君の懐で、取り出した時はあったかく手のひらに感じたくらい裸ながらぬくもっていた。主人と東風君は妙な目をして視線を鰹節の上に注いでいると、寒月君はやがて口を開いた。


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《第拾一》 寒月の鰹節2


画/浅井忠

「実は四日ばかり前に国(郷里)から帰って来たのですが、いろいろ用事があって方々駆け歩いていたものですから、つい上がられなかったのです」
「そう急いで来るには及ばないさ」と主人は例のごとく無愛嬌な事を言う。
「急いで来んでもいいのですけれども、このおみやげを早く献上しないと心配ですから」
「鰹節じゃないか」
「ええ、国の名産です」
「名産だって東京にもそんなのは有りそうだぜ」と主人は一番大きな奴を一本取り上げて、鼻の先へ持って行って臭いをかいでみる。
「かいだって鰹節の善し悪しはわかりませんよ」
「少し大きいのが名産たるゆえんかね」
「まあ、食べてご覧なさい」
「食べる事はどうせ食べるが、こいつはなんだか先が欠けてるじゃないか」
「それだから早く持って来ないと心配だと言うのです」
「なぜ?」


※このあたりを読んでいつも思うのが「寒月の郷里っていったい何処?」という事。
モデルとなった寺田寅彦は東京の生まれであるが、軍の会計をしていた父の仕事の関係で生後すぐ名古屋、そして四国の高知へと転宅した(四国は父の出身地。この地にある寺田家墓所で寅彦も眠っている)。その後また東京、もう一度高知、熊本の五高、最終的に東京と忙しい。
鰹節が名物である、船で帰郷するというんで高知という感じが濃厚だがどうなんでしょうか。
この後、寒月がヴァイオリンを買うため彷徨するシークエンスで特長のある町名がたくさん登場しますが、漱石との出会いの地である熊本を含めた寺田寅彦ゆかりの地名を羅列しているのかな? あるいは父の仕事と考え併せ、軍施設近辺の町名じゃないかとも考えましたが・・・。(J・KOYAMA)

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《第拾一》 寒月の鰹節3



「なぜって、そりゃネズミが食ったのです」
「そいつは危険だ。めったに食うとペストになるぜ」
「なに、大丈夫。そのくらいかじったって害はありません」
「全体どこでかじったんだい」
「船の中でです」
「船の中? どうして」
「入れる所がなかったから、ヴァイオリンといっしょに袋の中へ入れて船へ乗ったら、その晩にやられました。鰹節(かつぶし)だけならいいのですけれども、大切なヴァイオリンの胴を鰹節と間違えてやはり少々かじりました」
「そそっかしいネズミだね。船の中に住んでると、そう見境いがなくなるものかな」と主人は誰にもわからん事を言って依然として鰹節をながめている。
「なに、ネズミだから、どこに住んでてもそそっかしいのでしょう。だから下宿へ持って来てもまたやられそうでね。剣呑(けんのん)だから夜は寝床の中へ入れて寝ました」
「少し汚いようだぜ」
「だから食べる時にはちょっとお洗いなさい」
「ちょっとくらいじゃきれいにゃなりそうもない」
「それじゃ灰汁(あく/植物を焼いた灰を水に浸して得る上澄み液。アルカリ性を示し、古来、洗剤・漂白剤として、また染色などに用いる)でもつけて、ごしごし磨いたらいいでしょう」


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《第拾一》 ヴァイオリンで一句


蕪村の書画

「ヴァイオリンも抱いて寝たのかい」
「ヴァイオリンは大き過ぎるから抱いて寝る訳にはいかないんですが……」と言いかけると、「なんだって? ヴァイオリンを抱いて寝たって? それは風流だ。『行く春や 重たき琵琶(びわ)の だき心』という句(与謝蕪村の句)もあるが、それは遠きその上(かみ)の事だ。明治の秀才はヴァイオリンを抱いて寝なくっちゃ古人を凌(しの)ぐ訳にはいかないよ。
 『かい巻(小形で、綿を薄く入れた袖付きの夜着。掛け布団の下に掛ける)に 長き夜、守(も)るや ヴァイオリン』、はどうだい。東風君、新体詩でそんな事が言えるかい」と向こうの方から迷亭先生、大きな声でこっちの談話にも関係をつける。


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