2007.06.27 Wednesday
《第拾一》 対局中の二人
画/柳井愛子
床の間の前に、碁盤を中に据えて迷亭君と独仙君が対座している。
「ただはやらない。負けた方が何か奢(おご)るんだぜ。いいかい」と迷亭君が念を押すと、独仙君は例のごとくヤギヒゲを引っ張りながら、こう言った。
「そんな事をすると、せっかくの清戯(せいぎ)を俗了してしまう(高尚な遊びを俗悪なものにしてしまう)。賭けなどで勝負に心を奪われてはおもしろくない。成敗を度外において、※白雲の自然に岫(しゅう/山の峰)を出でて、冉々(ぜんぜん/だんだん進行するさま)たるごとき心持ち(雲が自然に山の峰を出て、ゆったりと移りゆくような心持ち)で一局を了してこそ、個中(こちゅう/【禅語】ここ。この内)の味わいはわかるものだよ」
「また来たね。そんな仙骨(仙人のように浮世離れした人物)を相手にしちゃ少々骨が折れ過ぎる。宛然(えんぜん/そっくりそのままであるさま)たる※列仙伝中の人物だね」
「※『無絃(むげん)の素琴(そきん)を弾じ』さ」
「無線の電信をかけ、かね」
「とにかく、やろう」
「君が白を持つのかい」
「どっちでも構わない」
「さすがに仙人だけあって鷹揚(おうよう/小さなことにこだわらずゆったりとしているさま)だ。君が白なら自然の順序として僕は黒だね。さあ、来たまえ。どこからでも来たまえ」
「黒から打つのが法則だよ」
「なるほど。しからば謙遜して、定石(じょうせき/囲碁で、昔から研究されてきて最善とされる、きまった石の打ち方)にここいらから行こう」
「定石にそんなのはないよ」
「なくっても構わない。新奇発明の定石だ」
※「白雲の自然に岫を出でて」
陶淵明の『帰来来兮の辞』に「雲は無心に以て岫を出で、鳥は飛ぶに倦きて還るを知る」とある。
「岫」は、本来は「山の穴」のことだが、詩歌の中では「山の峰」の意に用いられる。
※「列仙伝」
漢の劉向撰といわれる中国古代の仙人71人の伝を記したもの。2巻。
※『無絃の素琴を弾じ』
「素琴」は飾りのない琴。転じて無弦琴のこと。
昭明太子の『陶靖説伝』に、陶淵明は楽器は弾けなかったが無絃琴を一つ持っていて、酔ってよい気分になるとそれを撫でさすり、音律にとらわれない無声の響きに心を遊ばせた、とある。
エアギターならぬ、エアハープ。(冗談です)