「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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文鳥 [1]



 十月、早稲田に移る。





漱石は明治40年(1907)9月29日、千駄木邸のあと住んでいた東京市本郷区駒込西片町十番地ろノ7号から牛込区早稲田南町7番地に引っ越した。




 伽藍(がらん/通常「伽藍」は寺院の建築物のことだが、「がらんどう」の意も含まれているかもしれない)のような書斎にただ一人、片づけた顔(落ち着いてとりすました顔)を頬杖で支えていると、三重吉(当時、東京帝国大学英文科3年生だった鈴木三重吉が来て、鳥をお飼いなさいと云う。飼ってもいいと答えた。しかし念のためだから、何を飼うのかねと聞いたら、文鳥ですという返事であった。





画/橋口五葉




 文鳥は三重吉の小説(明治40年2月作の「三月七日」。のちに「鳥」と改題)に出て来るくらいだからきれいな鳥に違いなかろうと思って、じゃ買ってくれたまえと頼んだ。ところが三重吉はぜひお飼いなさいと、同じような事を繰り返している。うむ買うよ買うよとやはり頬杖をついたままで、むにゃむにゃ云ってるうちに三重吉は黙ってしまった。おおかた頬杖に愛想を尽かしたんだろうと、この時初めて気がついた。





鈴木三重吉 明治15年(1882)-昭和11年(1936)




 すると三分ばかりして、今度は籠(カゴ)をお買いなさいと云いだした。これもよろしいと答えると、ぜひお買いなさいと念を押す代わりに、鳥籠の講釈を始めた。その講釈はだいぶこみいったものであったが、気の毒な事にみんな忘れてしまった。ただ、よいのは二十円ぐらいすると云う段になって、急にそんな高いのでなくってもよかろうと云っておいた。三重吉はにやにやしている。
 それから、全体どこで買うのかと聞いてみると、なに、どこの鳥屋にでもありますと、実に平凡な答えをした。籠は、と聞き返すと、籠ですか、籠はその何ですよ、なに、どこにかあるでしょう、とまるで雲をつかむような寛大な事を云う。でも君、あてがなくっちゃいけなかろうと、あたかもいけないような顔をして見せたら、三重吉は頬っぺたへ手をあてて、なんでも駒込に籠の名人があるそうですが、年寄りだそうですから、もう死んだかもしれませんと、非常に心細くなってしまった。









 なにしろ言いだしたものに責任を負わせるのは当然の事だから、さっそく万事を三重吉に依頼する事にした。すると、すぐ金を出せと云う。金はたしかに出した。三重吉はどこで買ったか、七子(ななこ/七子織(ななこおり)。魚子繊 あるいは斜子織とも書き、折り目が方形で魚卵のように打ち違いに粒だって見える織り地。地が厚く、男子の羽織や帯にする)の三つ折の紙入れを懐中していて(ふところに入れて持っていて)、人の金でも自分の金でもことごとくみんな、この紙入れの中に入れる癖がある。自分は三重吉が五円札をたしかにこの紙入れの底へ押しこんだのを目撃した。
 かようにして金はたしかに三重吉の手に落ちた。
 しかし鳥と籠とは容易にやって来ない。









 そのうち秋が小春(こはる/初冬の、穏やかで暖かい春に似た日和が続くころ。また、陰暦10月の異称)になった。
 三重吉はたびたび来る。
 よく女の話などをして帰って行く。
 文鳥と籠の講釈はまったく出ない。
 硝子戸(ガラスど)を透かして五尺の縁側には日がよく当たる。どうせ文鳥を飼うなら、こんな暖かい季節に、この縁側へ鳥籠を据えてやったら、文鳥もさだめし鳴きよかろうと思うくらいであった。
 三重吉の小説によると、文鳥は『千代千代』(ちよちよ)と鳴くそうである。その鳴き声がだいぶん気に入ったとみえて、三重吉は千代千代を何度となく使っている。あるいは千代と云う女に惚れていた事があるのかもしれない。
 しかし当人はいっこうそんな事を云わない。
 自分も聞いてみない。
 ただ縁側に日がよく当たる。
 そうして文鳥が鳴かない。



文鳥は『千代千代』(ちよちよ)と鳴くそうである
前述、鈴木三重吉の「三月七日」に「鳥がくるくるくる 千代千代千代お千代」と啼(な)く。(中略)千代千代千代お千代といふ。くるりと向き変わってまた千代千代千代といふ。こんどはお千代千代千代 おちよーと、仕舞いを甲走って長く引っ張った」とある。
二月七日に漱石の木曜会で朗読した。



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文鳥 [2]






 そのうち霜が降り出した。自分は毎日伽藍(がらん)のような書斎に、寒い顔を片づけてみたり、取り乱してみたり、頬杖をついたりやめたりして暮らしていた。
 戸は二重に締め切った。
 火鉢に炭ばかり継いでいる。
 文鳥はついに忘れた。






画/市川禎男




 ところへ三重吉が門口(かどぐち)から威勢よく入って来た。時は宵の口であった。寒いから火鉢の上へ胸から上を翳(かざ)して、浮かぬ顔をわざとほてらしていたのが急に陽気になった。三重吉は豊隆(ほうりゅう/当時、東京帝国大学独文科三年生の小宮豊隆)を従えている。豊隆はいい迷惑である。二人が籠を一つずつ持っている。その上に三重吉が大きな箱を兄き分に抱えている。五円札が文鳥と籠と箱になったのはこの初冬(はつふゆ)の晩であった。










 三重吉は大得意である。まあ、ご覧なさいと云う。豊隆、そのランプをもっとこっちへ出せなどと云う。そのくせ寒いので鼻の頭が少し紫色になっている。
 なるほど立派な籠ができた。台が漆(うるし)で塗ってある。竹は細く削った上に、色が染(つ)けてある。それで三円だと云う。安いなあ豊隆、と云っている。豊隆は、うん安いと云っている。自分は安いか高いか判然と判らないが、まあ安いなあと云っている。よいのになると二十円もするそうですと云う。二十円はこれで二へん目である。二十円に比べて安いのは無論である。






小宮豊隆(左) 明治17年(1884)-昭和41年(1966)、ルビが“ほうりゅう”になっていますがこれは単行本に収録されてからで、初出の新聞連載では“とよたか”だそうです。右は鈴木三重吉。




 この漆はね、先生、日向へ出して曝(さら)しておくうちに黒味が取れてだんだん朱(しゅ)の色が出て来ますから、――そうしてこの竹はいっぺんよく煮たんだから大丈夫ですよ、などと、しきりに説明をしてくれる。何が大丈夫なのかねと聞き返すと、まあ鳥をご覧なさい、きれいでしょうと云っている。
 なるほどきれいだ。次の間(ま)へ籠を据えて四尺ばかりこっちから見ると少しも動かない。薄暗い中に真っ白に見える。籠の中にうずくまっていなければ鳥とは思えないほど白い。なんだか寒そうだ。
 寒いだろうねと聞いてみると、そのために箱を作ったんだと云う。夜になればこの箱に入れてやるんだと云う。籠が二つあるのはどうするんだと聞くと、この粗末な方へ入れて時々行水(ぎょうずい)を使わせるのだと云う。これは少し手数が掛かるなと思っていると、それから糞(フン)をして籠を汚しますから、時々掃除をしておやりなさいとつけ加えた。三重吉は文鳥のためにはなかなか強硬である。










 それをはいはい引き受けると、今度は三重吉が袂(たもと)から粟(あわ)を一袋出した。これを毎朝食わせなくっちゃいけません。もし餌(え)をかえてやらなければ、餌壺(えつぼ)を出して殻(から)だけ吹いておやんなさい。そうしないと文鳥が実のある粟を一々拾い出さなくっちゃなりませんから。水も毎朝かえておやんなさい。先生は寝坊だからちょうどよいでしょう、と大変文鳥に親切を極めている。そこで自分も、よろしいと万事受け合った。ところへ豊隆が袂(たもと)から餌壺と水入を出して行儀よく自分の前に並べた。こういっさい万事を調(ととの)えておいて、実行を迫られると、義理にも文鳥の世話をしなければならなくなる。内心ではよほど覚束(おぼつか)なかったが、まずやってみようとまでは決心した。もしできなければ、うちのものがどうかするだろうと思った。



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文鳥 [3]


画/市川禎男




 やがて三重吉は鳥籠をていねいに箱の中へ入れて、縁側へ持ち出して、ここへ置きますからと云って帰った。自分は伽藍(がらん)のような書斎の真ん中に床(とこ/ふとん)を展(の)べて冷ややかに寝た。夢に文鳥を背負(しょ)いこんだ心持ちは、少し寒かったが眠ってみればふだんの夜のごとく穏やかである。
 翌朝眼が覚めると、硝子戸に日が射している。たちまち文鳥に餌をやらなければならないなと思った。けれども起きるのが退儀(たいぎ)であった。今にやろう、今にやろうと考えているうちに、とうとう八時過ぎになった。仕方がないから顔を洗うついでをもって、冷たい縁を素足で踏みながら、箱の蓋(ふた)を取って鳥籠を明るみへ出した。文鳥は眼をぱちつかせている。もっと早く起きたかったろうと思ったら気の毒になった。










 文鳥の眼は真っ黒である。まぶたのまわりに細い淡紅色(ときいろ/鴇色)の絹糸を縫いつけたような筋が入っている。眼をぱちつかせるたびに絹糸が急に寄って一本になる。と思うとまた丸くなる。籠を箱から出すや否や、文鳥は白い首をちょっと傾けながらこの黒い眼を移して、初めて自分の顔を見た。そうして、ちちと鳴いた。
 自分は静かに鳥籠を箱の上に据えた。文鳥はぱっと留り木を離れた。そうしてまた留り木に乗った。留り木は二本ある。黒味がかった青軸をほどよき距離に橋と渡して横に並べた。その一本を軽く踏まえた足を見るといかにも華奢(きゃしゃ)にできている。細長い薄紅(うすくれない)の端に真珠を削ったような爪がついて、手頃な留り木をうまく抱えこんでいる。すると、ひらりと眼先が動いた。文鳥はすでに留り木の上で向きを変えていた。しきりに首を左右に傾ける。傾けかけた首をふと持ち直して、心持ち前へ伸ばしたかと思ったら、白い羽根がまたちらりと動いた。文鳥の足は向こうの留り木の真ん中あたりに具合よく落ちた。ちちと鳴く。そうして遠くから自分の顔をのぞきこんだ。



「青軸」
「梅の一種、うてな、若枝、ともに緑なるもの」(言海)







画/加藤千香子 新潮文庫表紙より




 自分は顔を洗いに風呂場へ行った。帰りに台所へまわって、戸棚を開けて、ゆうべ三重吉の買って来てくれた粟の袋を出して、餌壺の中へ餌を入れて、もう一つには水を一杯入れて、また書斎の縁側へ出た。
 三重吉は用意周到な男で、ゆうべていねいに餌をやる時の心得を説明していった。その説によると、むやみに籠の戸を開けると文鳥が逃げ出してしまう。だから右の手で籠の戸を開けながら、左の手をその下へあてがって、外から出口を塞(ふさ)ぐようにしなくっては危険だ。餌壺を出す時も同じ心得でやらなければならない。と、その手つきまでして見せたが、こう両方の手を使って、餌壺をどうして籠の中へ入れる事ができるのか、つい聞いておかなかった。
 自分はやむをえず、餌壺を持ったまま手の甲で籠の戸をそろりと上へ押し上げた。同時に左の手で開いた口をすぐ塞(ふさ)いだ。鳥はちょっと振り返った。そうして、ちちと鳴いた。自分は出口を塞いだ左の手の処置に窮した。人の隙を窺(うかが)って逃げるような鳥とも見えないので、なんとなく気の毒になった。三重吉は悪い事を教えた。






画/津田青楓
漱石山房の常連だった画家・津田の「漱石と十弟子」によると、三重吉は山房きっての派手な存在で、故郷の広島弁で無邪気によくしゃべったそうです。





 大きな手をそろそろ籠の中へ入れた。すると文鳥は急に羽ばたきを始めた。細く削った竹の目から、暖かいむく毛が白く飛ぶほどに翼を鳴らした。自分は急に自分の大きな手が厭(いや)になった。粟(あわ)の壺と水の壺を留り木の間にようやく置くや否や、手を引きこました。籠の戸ははたりとひとりでに落ちた。文鳥は留り木の上に戻った。白い首をなかば横に向けて、籠の外にいる自分を見上げた。それから曲げた首をまっすぐにして足のもとにある粟と水を眺めた。自分は食事をしに茶の間へ行った。



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文鳥 [4]


「坑夫」は明治41年(1908)1月1日より4月6日まで東京・大阪朝日新聞に連載。前年より書きためられていた。同年9月、春陽堂より明治40年発表の「野分」と併せ「草合」のタイトルで単行本化。




 その頃は日課として小説を書いている時分であった。飯と飯の間はたいてい机に向って筆を握っていた。静かな時は自分で紙の上を走るペンの音を聞く事ができた。









 伽藍(がらん)のような書斎へは誰も入って来ない習慣であった。筆の音に淋しさという意味を感じた朝も昼も晩もあった。しかし時々はこの筆の音がぴたりとやむ、またやめねばならぬ折もだいぶあった。その時は指のまたに筆を挟んだまま手の平へ顎(あご)を載せて、硝子(ガラス)越しに吹き荒れた庭を眺めるのが癖であった。それが済むと載せた顎を一応つまんでみる。それでも筆と紙がいっしょにならない時は、つまんだ顎を二本の指で伸ばしてみる。すると縁側で文鳥がたちまち千代千代(ちよちよ)と二声鳴いた。









 筆を擱(お)いて、そっと出て見ると、文鳥は自分の方を向いたまま、留り木の上から、のめりそうに白い胸を突き出して、高く千代と云った。三重吉が聞いたらさぞ喜ぶだろうと思うほどな美(い)い声で千代と云った。三重吉は今に馴れると千代と鳴きますよ、きっと鳴きますよ、と受け合って帰って行った。
 自分はまた籠のそばへしゃがんだ。文鳥は膨らんだ首を二、三度縦横に向け直した。やがて一団(ひとかたまり)の白い体がぽいと留り木の上を抜け出した。と思うときれいな足の爪が半分ほど餌壺の縁(ふち)から後ろへ出た。小指を掛けてもすぐ引っくり返りそうな餌壺は釣鐘(つりがね)のように静かである。さすがに文鳥は軽いものだ。なんだか淡雪(あわゆき)の精のような気がした。









 文鳥はつと嘴(くちばし)を餌壺の真ん中に落とした。そうして二、三度左右に振った。きれいにならして入れてあった粟がはらはらと籠の底にこぼれた。文鳥は嘴(くちばし)を上げた。のどの所でかすかな音がする。また嘴を粟の真ん中に落す。またかすかな音がする。その音が面白い。静かに聴いていると、丸くて細(こま)やかで、しかも非常に速(すみ)やかである。菫(スミレ)ほどな小さい人が、黄金(こがね)の槌(つち)で瑪瑙(めのう)の碁石(ごいし)でもつづけ様に敲(たた)いているような気がする。









 嘴(くちばし)の色を見ると紫を薄く混ぜた紅(べに)のようである。その紅がしだいに流れて、粟をつつく口尖(くちさき)の辺りは白い。象牙(ぞうげ)を半透明にした白さである。この嘴が粟の中へ入る時は非常に早い。左右に振り蒔(ま)く粟の珠(たま)も非常に軽そうだ。文鳥は身を逆さまにしないばかりに尖った嘴を黄色い粒の中に刺しこんでは、膨らんだ首を惜し気もなく右左へ振る。籠の底に飛び散る粟の数は幾粒だか分からない。それでも餌壺だけは寂然(せきぜん)として静かである。重いものである。餌壺の直径は一寸五分ほどだと思う。



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文鳥 [5]






 自分はそっと書斎へ帰って淋しくペンを紙の上に走らしていた。縁側では文鳥が「ちち」と鳴く。折々は「千代千代」とも鳴く。外では木枯らしが吹いていた。
 夕方には文鳥が水を飲むところを見た。細い足を壺の縁(ふち)へかけて、小い嘴に受けた一雫(ひとしずく)を大事そうに、仰向いてのみくだしている。この分では一杯の水が十日ぐらい続くだろうと思ってまた書斎へ帰った。晩には箱へしまってやった。寝る時、硝子戸から外をのぞいたら、月が出て、霜(しも)が降っていた。文鳥は箱の中でことりともしなかった。
 明くる日もまた、気の毒な事に遅く起きて、箱から籠を出してやったのはやっぱり八時過ぎであった。箱の中ではとうから目が覚めていたんだろう。それでも文鳥はいっこう不平らしい顔もしなかった。籠が明るい所へ出るや否や、いきなり眼をしばたたいて、心持ち首をすくめて、自分の顔を見た。










 昔、美しい女を知っていた。この女が机にもたれて何か考えているところを、後ろからそっと行って、紫の帯上げの房になった先を長く垂らして、首筋の細いあたりを上からなでまわしたら、女は物憂げに後ろを向いた。その時女の眉は心持ち八の字に寄っていた。それで目尻と口元には笑みが萌(きざ)していた。同時に恰好のよい首を肩まですくめていた。文鳥が自分を見た時、自分はふとこの女の事を思い出した。この女は今嫁に行った。自分が紫の帯上げでいたずらをしたのは縁談のきまった二、三日後である。









 餌壺にはまだ粟が八分通り入っている。しかし殻もだいぶ混じっていた。水入には粟の殻が一面に浮いて、いたく濁っていた。易(か)えてやらなければならない。また大きな手を籠の中へ入れた。非常に用心して入れたにもかかわらず、文鳥は白い翼を乱して騒いだ。小い羽根が一本抜けても、自分は文鳥にすまないと思った。殻はきれいに吹いた。吹かれた殻は木枯らしがどこかへ持っていった。水も易えてやった。水道の水だから大変冷たい。
 その日は一日淋しいペンの音を聞いて暮らした。その間には折々「千代千代」と云う声も聞えた。文鳥も淋しいから鳴くのではなかろうかと考えた。しかし縁側へ出て見ると、二本の留り木の間を、あちらへ飛んだりこちらへ飛んだり、絶え間なく行きつ戻りつしている。少しも不平らしい様子はなかった。








 夜は箱へ入れた。明くる朝目が覚めると、外は白い霜だ。文鳥も眼が覚めているだろうが、なかなか起きる気にならない。枕元にある新聞を手に取るさえ難儀だ。それでも煙草は一本ふかした。この一本をふかしてしまったら、起きて籠から出してやろうと思いながら、口から出る煙の行方を見つめていた。するとこの煙の中に、首をすくめた、眼を細くした、しかも心持ち眉を寄せた昔の女の顔がちょっと見えた。自分は床の上に起き直った。寝巻の上へ羽織を引っ掛けて、すぐ縁側へ出た。そうして箱の蓋(ふた)をはずして、文鳥を出した。文鳥は箱から出ながら「千代千代」と二声鳴いた。




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文鳥 [6]

 三重吉の説によると、馴れるにしたがって、文鳥が人の顔を見て鳴くようになるんだそうだ。現に三重吉の飼っていた文鳥は、三重吉がそばにいさえすれば、しきりに「千代千代」と鳴きつづけたそうだ。のみならず三重吉の指の先から餌を食べると云う。自分もいつか指の先で餌をやってみたいと思った。





画/つげ義春




 次の朝はまた怠けた。昔の女の顔もつい思い出さなかった。顔を洗って、食事を済まして、初めて気がついたように縁側へ出てみると、いつの間にか籠が箱の上に乗っている。文鳥はもう留り木の上を面白そうにあちらこちらと飛び移っている。そうして時々は首を伸ばして籠の外を下の方からのぞいている。その様子がなかなか無邪気である。昔、紫の帯上げでいたずらをした女は襟(えり)の長い、背のすらりとした、ちょっと首を曲げて人を見る癖があった。
 粟はまだある。水もまだある。文鳥は満足している。自分は粟も水も易(か)えずに書斎へ引っこんだ。
 昼過ぎまた縁側へ出た。食後の運動かたがた、五、六間の廻り縁を、あるきながら書見するつもりであった。ところが出てみると粟がもう七分がた尽きている。水も全く濁ってしまった。書物を縁側へ放り出しておいて、急いで餌と水を易えてやった。









 次の日もまた遅く起きた。しかも顔を洗って飯を食うまでは縁側をのぞかなかった。書斎に帰ってから、あるいは昨日のように、うちのものが籠を出しておきはせぬかと、ちょっと縁へ顔だけ出して見たら、はたして出してあった。その上、餌も水も新しくなっていた。自分はやっと安心して首を書斎に入れた。途端に文鳥は「千代千代」と鳴いた。それで引っこめた首をまた出して見た。けれども文鳥は再び鳴かなかった。けげんな顔をして硝子越しに庭の霜を眺めていた。自分はとうとう机の前に帰った。








 書斎の中では相変らずペンの音がさらさらする。書きかけた小説はだいぶんはかどった。指の先が冷たい。今朝埋(い)けた佐倉炭(さくらずみ)は白くなって、薩摩五徳(さつまごとく)に懸(か)けた鉄瓶(てつびん)がほとんど冷めている。炭取は空(から)だ。手を叩いたがちょっと台所まで聴こえない。









 立って戸を開けると、文鳥は例に似ず留り木の上にじっと留っている。よく見ると足が一本しかない。自分は炭取を縁に置いて、上からこごんで籠の中をのぞきこんだ。いくら見ても足は一本しかない。文鳥はこの華奢(きゃしゃ)な一本の細い足に総身を託して黙然(もくねん)として、籠の中に片づいている。
 自分は不思議に思った。文鳥について万事を説明した三重吉もこの事だけは抜いたとみえる。自分が炭取に炭を入れて帰った時、文鳥の足はまだ一本であった。しばらく寒い縁側に立って眺めていたが、文鳥は動く気色(けしき)もない。音を立てないで見つめていると、文鳥は丸い眼をしだいに細くしだした。おおかた眠たいのだろうと思って、そっと書斎へ入ろうとして、一歩足を動かすや否や、文鳥はまた眼を開いた。同時に真っ白な胸の中から細い足を一本出した。自分は戸を閉(た)てて火鉢へ炭をついだ。



「佐倉炭」
くぬぎにて焼きなしたる炭、いけだずみに同じ、下総の印旛、千葉、埴生の三郷に産じ、佐倉より処方に出だす(言海)


「薩摩五徳」
「五徳」は炉や火鉢の中に立て、釜や鉄瓶をかける道具。三脚または四脚の鉄製ないしは陶器製の輪。その形に、利休形笹爪・法連形(宝鈴形)・薩摩屋形の三種がある。「薩摩五徳」は薩摩屋形(三個の爪が同一でない)のこと。




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文鳥 [7]






 小説はしだいに忙しくなる。
 朝は依然として寝坊をする。
 一度、家(うち)のものが文鳥の世話をしてくれてから、なんだか自分の責任が軽くなったような心持ちがする。家のものが忘れる時は、自分が餌をやる水をやる。籠の出し入れをする。しない時は、家のものを呼んでさせる事もある。自分はただ文鳥の声を聞くだけが役目のようになった。
 それでも縁側へ出る時は、必ず籠の前へ立ち留まって文鳥の様子を見た。たいていは狭い籠を苦にもしないで、二本の留り木を満足そうに往復していた。天気の好い時は薄い日を硝子越しに浴びて、しきりに鳴き立てていた。しかし三重吉の云ったように、自分の顔を見てことさらに鳴く気色はさらになかった。





画/つげ義春




 自分の指からじかに餌を食うなどと云う事は無論なかった。折々、機嫌のいい時は麺麭(パン)の粉(こ)などをひとさし指の先へつけて竹の間からちょっと出して見る事があるが文鳥はけっして近づかない。少し無遠慮に突きこんで見ると、文鳥は指の太いのに驚いて白い翼を乱して籠の中を騒ぎまわるのみであった。二、三度試みた後、自分は気の毒になって、この芸だけは永久に断念してしまった。今の世にこんな事のできるものがいるかどうだかはなはだ疑わしい。おそらく古代の聖徒(セイント)の仕事だろう。三重吉は嘘をついたに違いない。





明治時代の内裏雛は向かって左が男雛




 ある日の事、書斎で例のごとくペンの音を立ててわびしい事を書き連ねていると、ふと妙な音が耳に入った。縁側でさらさら、さらさら云う。女が長い衣(きぬ)の裾(すそ)を捌(さば)いているようにも受け取られるが、ただの女のそれとしては、あまりにぎょうさんである。雛段(ひなだん)をあるく、内裏雛(だいりびな)の袴(はかま)の襞(ひだ)の擦(す)れる音とでも形容したらよかろうと思った。自分は書きかけた小説をよそにして、ペンを持ったまま縁側へ出て見た。すると文鳥が行水(ぎょうずい)を使っていた。









 水はちょうど易(か)えたてであった。文鳥は軽い足を水入れの真ん中に胸毛まで浸して、時々は白い翼を左右にひろげながら、心持ち水入の中にしゃがむように腹をおしつけつつ、総身の毛を一度に振っている。そうして水入の縁(ふち)にひょいと飛び上がる。しばらくしてまた飛びこむ。水入れの直径は一寸五分ぐらいに過ぎない。飛びこんだ時は尾も余り、頭も余り、背はむろん余る。水に浸かるのは足と胸だけである。それでも文鳥は欣然(きんぜん)として行水を使っている。
 自分は急に易籠(かえかご)を取って来た。そうして文鳥をこの方へ移した。それから如露(じょろ)を持って風呂場へ行って、水道の水をくんで、籠の上からさあさあとかけてやった。如露(じょろ)の水が尽きる頃には、白い羽根から落ちる水が珠(たま)になって転がった。文鳥は絶えず眼をぱちぱちさせていた。









 昔、紫の帯上げでいたずらをした女が、座敷で仕事をしていた時、裏二階から懐中鏡(ふところかがみ)で女の顔へ春の光線を反射させて楽しんだ事がある。女は薄紅(うすあか)くなった頬を上げて、細い手を額の前に翳(かざ)しながら、不思議そうにまばたきをした。この女とこの文鳥とはおそらく同じ心持ちだろう。



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文鳥 [8]






 日数(ひかず)が立つにしたがって文鳥はよく囀(さえ)ずる。しかしよく忘れられる。ある時は餌壺(えつぼ)が粟(あわ)の殻だけになっていた事がある。ある時は籠の底が糞でいっぱいになっていた事がある。ある晩宴会があって遅く帰ったら、冬の月が硝子越しに差し込んで、広い縁側がほの明るく見えるなかに、鳥籠がしんとして、箱の上に乗っていた。その隅に文鳥の体が薄白く浮いたまま留り木の上に、あるか無きかに思われた。自分は外套(がいとう)の羽根を返して、すぐ鳥籠を箱のなかへ入れてやった。




画/谷口ジロー
この猫は“吾輩”のモデルになった猫であろう。この時はまだ元気だったようだが、「文鳥」連載後の明治41年(1908)9月13日の日曜日夜に死んだ。老衰で物置のへっついの上で死んでいたという。漱石は翌日門下生たちに猫の死亡通知を書き送った。





 翌日文鳥は例のごとく元気よく囀(さえず)っていた。それからは時々寒い夜も箱にしまってやるのを忘れることがあった。ある晩いつもの通り書斎で専念にペンの音を聞いていると、突然縁側の方でがたりと物の覆(くつがえ)った音がした。しかし自分は立たなかった。依然として急ぐ小説を書いていた。わざわざ立って行って、何でもないといまいましいから、気にかからないではなかったが、やはりちょっと聞き耳を立てたまま知らぬ顔ですましていた。その晩寝たのは十二時過ぎであった。便所に行ったついで、気がかりだから、念のため一応縁側へ廻って見ると――
 籠は箱の上から落ちている。そうして横に倒れている。水入れも餌壺(えつぼ)も引っくりかえっている。粟は一面に縁側に散らばっている。留り木は抜け出している。文鳥はしのびやかに鳥籠の桟(さん)にかじりついていた。自分は明日から誓ってこの縁側に猫を入れまいと決心した。




画/つげ義春




 翌日(あくるひ)文鳥は鳴かなかった。粟を山盛り入れてやった。水を漲(みなぎ)るほど入れてやった。文鳥は一本足のまま長らく留り木の上を動かなかった。午飯(ひるめし)を食ってから、三重吉に手紙を書こうと思って、二、三行書き出すと、文鳥がちちと鳴いた。自分は手紙の筆を留めた。文鳥がまたちちと鳴いた。出て見たら粟も水もだいぶん減っている。手紙はそれぎりにして裂いて捨てた。





画/谷口ジロー




 翌日、文鳥がまた鳴かなくなった。留り木を下りて籠の底へ腹をおしつけていた。胸の所が少し膨らんで、小さい毛が漣(さざなみ)のように乱れて見えた。自分はこの朝、三重吉から例の件で某所まで来てくれと云う手紙を受け取った。十時までにと云う依頼であるから、文鳥をそのままにしておいて出た。三重吉に逢ってみると例の件がいろいろ長くなって、いっしょに午飯(ひるめし)を食う。いっしょに晩飯(ばんめし)を食う。その上、明日の会合まで約束してうちへ帰った。帰ったのは夜の九時頃である。文鳥の事はすっかり忘れていた。疲れたから、すぐ床へはいって寝てしまった。



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文鳥 [9 最終章]

 翌日(あくるひ)眼が覚めるや否や、すぐ例の件を思いだした。いくら当人が承知だって、そんな所へ嫁にやるのは行く末よくあるまい、まだ子供だからどこへでも行けと云われる所へ行く気になるんだろう。いったん行けばむやみに出られるものじゃない。世の中には満足しながら不幸に陥っていく者がたくさんある。などと考えて楊枝(ようじ)を使って、朝飯を済ましてまた例の件を片づけに出掛けて行った。




画/市川禎男




 帰ったのは午後三時頃である。玄関へ外套(がいとう)をかけて廊下伝いに書斎へ入るつもりで例の縁側へ出てみると、鳥籠が箱の上に出してあった。けれども文鳥は籠の底にそっくり返っていた。二本の足を硬く揃えて、胴と直線に伸ばしていた。自分は籠のわきに立って、じっと文鳥を見守った。黒い眼を眠(ねぶ)っている。まぶたの色は薄蒼(うすあお)く変わった。
 餌壺(えつぼ)には粟の殻ばかり溜まっている。啄(ついば)むべきは一粒もない。水入れは底の光るほど涸(か)れている。西へ廻った日が硝子戸を洩れて斜めに籠に落ちかかる。台に塗った漆は、三重吉の云ったごとく、いつの間にか黒味が脱けて、朱の色が出てきた。
 自分は冬の日に色づいた朱の台を眺めた。
 空(から)になった餌壺を眺めた。
 空(むな)しく橋を渡している二本の留り木を眺めた。
 そうしてその下に横たわる硬い文鳥を眺めた。
 自分はこごんで両手に鳥籠を抱えた。そうして、書斎へ持って入った。十畳の真ん中へ鳥籠をおろして、その前へかしこまって、籠の戸を開いて、大きな手を入れて、文鳥を握って見た。柔かい羽根は冷えきっている。






鈴木三重吉の住所は猫の死亡通知時のものです。




 拳(こぶし)を籠から引き出して、握った手を開けると、文鳥は静かにてのひらの上にある。自分は手を開けたまま、しばらく死んだ鳥を見つめていた。それから、そっと座布団の上におろした。そうして、はげしく手を鳴らした。
 十六になる小女(こおんな)が、はいと云って敷居際(しきいぎわ)に手をつかえる。自分はいきなり布団の上にある文鳥を握って、小女の前へ放り出した。小女はうつむいて畳を眺めたまま黙っている。自分は、餌(え)をやらないから、とうとう死んでしまったと云いながら、下女の顔をにらめつけた。下女はそれでも黙っている。
 自分は机の方へ向き直った。そうして三重吉へはがきをかいた。「うちのものが餌をやらないものだから、文鳥はとうとう死んでしまった。たのみもせぬものを籠へ入れて、しかも餌をやる義務さえ尽くさないのは残酷の至りだ」と云う文句であった。
 自分は、これを投函(だ)して来い、そうしてその鳥をそっちへ持って行けと下女に云った。下女は、どこへ持って参りますかと聞き返した。どこへでも勝手に持って行けと怒鳴りつけたら、驚いて台所の方へ持って行った。









 しばらくすると裏庭で、子供が文鳥を埋めるんだ埋めるんだと騒いでいる。庭掃除に頼んだ植木屋が、お嬢さん、ここいらが好いでしょうと云っている。自分は進まぬながら、書斎でペンを動かしていた。
 翌日はなんだか頭が重いので、十時頃になってようやく起きた。顔を洗いながら裏庭を見ると、昨日植木屋の声のしたあたりに、小さい公札(こうさつ)が、蒼(あお)い木賊(とくさ)の一株と並んで立っている。高さは木賊よりもずっと低い。庭下駄をはいて、日影の霜を踏み砕いて、近づいて見ると、公札の表には、この土手登るべからずとあった。筆子(ふでこ)の手蹟である。





長女・夏目筆子(リボンのお嬢ちゃん、ちなみに右は小宮豊隆)の夫が漱石門下の小説家・松岡譲、夏目筆子の娘が随筆家の半藤末利子、半藤末利子の夫が随筆家の半藤一利、夏目筆子の娘が比較文学者松岡陽子マックレイン、松岡陽子マックレインの夫がロバート・マックレイン、松岡陽子マックレインの孫がAlejandro Alex Soseki McClain・・・優れた血は脈々と受け継がれておる。




 午後、三重吉から返事が来た。
 文鳥はかわいそうな事をいたしましたとあるばかりで、うちのものが悪いとも残酷だともいっこう書いてなかった。









〈完〉
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文鳥 [完]

「文鳥」は明治41年 (1908) 6月13日から6月21日まで大阪朝日新聞に9回にわたって毎日連載された。東京朝日新聞には連載されなかった。
初出には (一)〜(完) までの連載回数が記されている。署名は“漱石”。
その後雑誌「ホトトギス」(ほとゝぎす発行所刊) の明治41年10月1日発行・第十二巻第一号に再掲され、明治43年5月15日発行の単行本「四篇」 (春陽堂刊) に収録された。
なお単行本「四篇」には“漱石近什 (じゅう)”の角書きがある。
                             (J・KOYAMA)


[参考文献]

◆「少年少女世界文学全集38 現代日本名作集」 昭和40年
  (1965) 講談社

◆「文鳥・夢十夜」 新潮文庫

◆「漱石全集 第十二巻」 平成6年(1994) 岩波書店

◆「ねじ式」つげ義春 平成7年(1995) 小学館文庫
  ※「チーコ」所収。

※「吾輩は猫である」の参考文献と重複するものは割愛しました。
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