「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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横浜のトラ猫さんと姥子問答 [2]

調べがついたので、下のようにトラ猫さん宛、返事を書きました。

こんにちは、初めまして。
メールありがとうございます。
そうですか、温泉探しからウチの「猫」ブログへいらしたと。
そういうケースもあるのですね。
これからもよろしくお願い致します。

ところでお尋ねの件ですが、
興味が湧き調べてみました。
まず、荒正人編「漱石研究年表」(1974 集英社) を開くと…

1890年 (明治23) の7月から8月にかけ、
第一高等学校を卒業したばかりである
満23歳の漱石は、持病である眼病をこじらせました。
読書も執筆 (創作) も出来ないと
親友の正岡子規に手紙で訴えたりしています。

漱石はこの後、8月末から9月にかけ、20日ほど箱根方面 (箱根芦ノ湖南岸、および旧箱根関所跡など) へ旅行しています。
これは眼病療養を兼ねていなかったか ?

神奈川県箱根の姥子温泉といえば、箱根七湯のひとつ。
「源頼光四天王のひとり、坂田金時 (956 ?-1012 ? 実在した人物かどうか不明であるが)…幼名・金太郎が眼にケガした (枯れ枝で目を刺し片目が見えなくなった。眼病に罹った説もあるようだ) 折、母である姥 (または山姥。乳母説も) が箱根権現のお告げでこの温泉を見つけ、目を洗って治した」といういわれのある温泉ですから、漱石が療養のために赴いたとしてもおかしくありません。

果たして、「漱石全集 第一巻 吾輩は猫である」(1993 岩波書店) の注解に答が。
漱石研究の著書がある岡 三郎 (1929〜) という方の調査によると、まさに眼病療治のため、このとき姥子温泉に逗留していたとのこと。
誰かのアドバイスがあったかも知れませんが、なんせココは江戸時代の温泉番付にも登場している名湯ですから、眼に良いという一般知識が充分浸透していたのかもしれません。
ただ、漱石がどういう名前の温泉宿に泊まったのかは不明です。
「漱石研究年表」によると、この旅の最中にもトラホームに罹って、嘆きの漢詩を作ったりしているようですね (笑)。

この旅のあと、全快 ? して気分一新 ? の漱石は9月、東京帝国大学に無事入学します。
この時の記憶を元にしているであろう、姥子温泉が登場する「猫」の最終 第十一章が脱稿されたのは、16年近く後の1906年 (明治39) 7月のことでした。

繰り返しますが、
漱石が姥子温泉で泊まっていたのが、
当時は宿泊可能であった秀明館だったかどうかは
ズバリ書かれたものが無く、残念ながら不明です。



ブログを作っている時、明治っぽい見た目を重視して
あの写真を選んだのでしょうね、3年ほど前のわたくしは。

…トラ猫様に逆にお尋ねするのですが、
秀明館はいったい何年の創業なのでしょうか ?
昨日調べた限りでは、ネット上にキチンと書いたものがないんです。行かれた時のパンフなどに記載がありましたら、是非ご教示下さい。
もし、明治23年の段階で“宿泊可能な温泉宿”として秀明館が存在していれば、漱石が泊まった確率は高いと思われますので。

                             J・KOYAMA
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