「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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横浜のトラ猫さんと姥子問答 [10]

わたくしはこれを受け、資料を再読。気がついたことなどをまとめ、トラ猫さんへ返信したのでした。

ますます興味深いですね。
それ以上にトラ猫さんの機動力に感服しました。
時々メールで質問や疑問を頂く事があっても、
やりとりするうちになんとな〜く返事が頂けなくなるケースが多いので。
わたくし (J・KOYAMA) の責任なんでしょうが…

トラ猫さんは温泉 (と漱石) が本当にお好きなんですね。
素晴らしいことだと思います。

漱石ほど研究され尽くされている日本の作家は
他にないんじゃないかと言われていますが、
まだまだ穴はあります。
特にこの明治20年代は手紙類もあまり残っておらず、謎が多そうです。

今回のケースは微妙なものを含んでいますね。
箱根の名湯への異議申し立て、営業妨害と受け取られかねないニュアンスがありますから。
ただ…有名人が来たことを売りにする宿は多いし、それは問題ないけれど、時代的に見て“まだ開業していない宿”には決して泊まれませんから…ちょっと、ねぇ。

ところで、先日書いた内容で補足があります。
「漱石全集 書簡集1」(1957→1980 第4版 岩波書店) の注解を読むと、漱石の「持病の眼病」というのもトラホームなのだそうです。医者通いをしていた、とあります。

1890年 (明治23) 7月20日 および 8月9日に漱石は、 [2] で書いた如く、眼病のため読書も執筆 (創作) も出来ない…と親友の正岡子規に手紙で訴えております。
まぁ、眼病でも、「何の因果か女の祟りか…」とギャグを入れ、長い手紙を友に書く余裕はあったようですがね。

ところが、この後の手紙が気になるのです。
8月末 (日付不明) に子規に宛て「明日から (箱根方面への) 旅行へ行く」という手紙を書いていますが、この中には眼病云々の話が出てこんのですよ。
姥子温泉は旅程の中に当然組み込まれていたでしょうし、岡 三郎氏のいう「眼病療治」が目的なら、2回も手紙でグチっていた子規に、この手紙でも眼の話をしないわけはナイと思うのに、ヘンですね。

これはわたくしの推論ですが、漱石の眼病、トラホームは旅行前に一旦治癒していたのではないか。
旅行直前の漱石、「箱根の霊泉に浴し、昼寝して美人の夢でも見るよ…」とすっかり調子が戻っていますもの。

ということは、この20日間にわたる旅は本来、眼病療治ではなく、東大入学を前にした漱石が一息つくための気楽なモノだったのではないでしょうか。
ところが…好事魔多し。旅行中にまたトラホームに罹ってしまった (再発)、と。

旅行中の作かどうか判りませんが、9月に作ったという漢詩「函山雑詠」の中に“三年猶患眼 何処好医盲”(三年なお眼を患う、何れの処か好し盲を医やさん) なる句があるそうです。これはたぶん自虐の詩ならぬ句、ですな。

少し余談。
箱根行きから約1年後の1891年 (明治24)7月17日、漱石はまたまたまたトラホームで駿河台にあった井上眼科に通っており、その時に可愛らしい女性に出会って驚きます。突然の邂逅で、赤くなってしまったらしい (笑)。
それもそのはず、以前から気にかけていたヒトだったからで、子規にも手紙で報告しております。
漱石の初恋とも言われているエピソードですが…これはまた別の話。

…さて、明治23年9月、東大 (東京帝国大学文科大学英文科) に入学する漱石は、将来を期待され、国 = 文部省から年額85円も支給される貸費生、のちに特待生 (明治24年7月より) 待遇でした。
もう少し後の明治30年代、小学校教員や巡査の初任給は10〜13円であった…と下記のサイトにありますから、この額は満23歳の若者にとって充分すぎる学費・教材費となったでしょう。

http://blog.goo.ne.jp/silverwing1224/e/1dc547c7c84b9deb
66ba75ee61ce5ff1

漱石 (将来を嘱望されていたとはいえ、まだ、何者でもない夏目金之助ですけれど) としては、これからの日々を思うと、その前に少し遊んでおきたかったのかもしれません。
箱根の温泉に遊ぶ20日ほどかけたマッタリ旅、その宿の1つが姥子温泉だった、ということではないでしょうか。

[1] に書いたように、漱石作品中の温泉描写がリアリズムに基づくのなら、姥子で煙草を呑みびらかす ご隠居爺さんのネタも事実かもしれません。
姥子温泉逗留期間は、作中の記述どおり2週間に及んだことになりますね。その間、楽しんだものの、またトラホームになっちゃいましたが…。

ここで秀明館の名誉のために申して…いや、書いておくと、
「漱石研究年表」などにも書かれていない空白の時期に、
漱石が姥子に行っている可能性もゼロじゃありません。
ですから、明治23年の夏 秀明館が存在したかどうか微妙であっても、明治後期に秀明館が創業しておれば、なんとか丸く収められます(笑)。
但し、姥子が登場する「猫」十一章が書かれた、明治39年7月までの期限付きですが…。

また、明治23年頃 (もうちょっと広げ、こちらも「猫」十一章が書かれる明治39年7月までに)、秀明館が開業していたにせよいなかったにせよ、姥子に何軒の宿泊可能な旅館があったのか知りたいです。
その中の1軒が秀明館の前身であり、そこにもし漱石が逗留していたのなら、伝説は“真実”と言えなくもないでしょう。

いずれにせよ、秀明館の正確な開業年月を知ることが全ての鍵なんですねぇ。

                               J・KOYAMA

※漱石が姥子に行った理由については、J・KOYAMAの推論を入れ訂正を加えてあり、岡 三郎氏の説とは微妙に違っています。
…どうでしょう、ご意見お待ちします ! っていうか、こんな枝葉末節にこだわる暇人はあまりいないよね (苦笑)。

トラ猫さんの今後の調査に期待しております。
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