「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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横浜のトラ猫さんと姥子問答 [6]

次に載せるのは「箱根彩景」に載っていた、姥子温泉の古写真と解説です。これもトラ猫さんに送っていただきました。



残念ながら、撮られた正確な時期は不明のようですが、たぶん明治時代ではないでしょうか ?
[3] に載せたトラ猫さんのメールにあったように、茅葺屋根がのどかな、江戸時代を感じさせる宿が並んでいます。
明治後期 ? と書かれた、秀明館展示の古写真と比べ、ずいぶん様子が違いますね。
この解説によると、その頃の姥子温泉を管理・経営していたのは…

江戸時代.....元箱根村の住民が番を勤める。
明治20年代...ハフヤのオーナー、高瀬道正の経営になる。
明治30年代...西村秀作の経営になる。

…とのこと。ここには、秀明館のシの字も出ていません。

トラ猫さんからの続報メールです。

箱根温泉の公式サイトを探しておりましたら、
「箱根十七湯」
http://www.hakone.or.jp/japan/17yu/area_ubak.html
というサイトがあり、その中に姥子温泉がありました。

これによれば、秀明館は大正時代の建物ということです。
大正何年なのかは書いてありませんが、1916年 (大正5) 12月に亡くなってしまう漱石…秀明館に来ていたのかどうか、ますます疑問ですね。

今、箱根観光協会にメールで、この記述が正しいものであるか問い合わせております。
宿のご主人は一般人の私が聞いても真剣には答えてくれませんので、再度観光協会の方から確認してもらおうと思います。

                                  トラ猫

…う〜む。
大正期となると、漱石は多忙を極め残した手紙類も多いですから、日々の行動もほぼ解明されております。
もし「猫」が書かれたずっと後にも、姥子温泉へ…秀明館へ行っておれば、「漱石研究年表」などに記載があるはず。それがないということは…。
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