「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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埼玉のタビネコさんから、「姥子問答」に関する論文が ! [1 の補記]

箱根ホテルの前身という“ハフヤ”が気になっていたのですが、タビネコさんからご教示いただきました。
以下の2つのサイトで、貴重な写真が閲覧出来るのですが…

外観

放送大学付属図書館ホームページ
直リンクは禁止。この写真、何度も文中に引用した「箱根彩景」の表紙に使われております。

内部

長崎大学図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=99

…当然、画像は転載禁止。でも、やはり味気ないので、熟考した上コッチの責任で「ホームページの画像」として載せました。写真をハッキリ見たい方は、直接アクセスしてくださいね。

ハフヤ = はふや = HAFUYA = 壬生屋なんですね。ミブヤじゃなくって…。

※追記
さらに、10月23日付のメールで、タビネコさんから補完情報をいただきました。

「はふや」は、江戸時代からの東海道箱根宿の旅籠で、明治以降も旅籠として存続した中の1つとして記録に残り、外国人相手の旅館のひとつとしてにぎわいます (このころの宿主は高瀬四郎左右衛門氏)。
その後、数人の所有を経て、大正11年 (1922) に富士屋ホテル系列の箱根ホテルになったそうです。

以上は、おなじみ『箱根温泉史』」より要約。

建物はすっかり現代建築ですが、箱根ホテルは今も存続しています。
位置的に、箱根駅伝なんかでも映る…じゃないかな。
http://www.hakonehotel.jp/

「はふや」の設立者として登場してくる高瀬四郎左右衛門氏と、姥子温泉の宿主となった高瀬道正氏の関係がイマイチ不明です。
同一人物の別名なのか、後継者なのか ?
明治期の箱根ガイドブック『函山誌』(明治27年 1894) の広告では、主人の名は勝叉哲三氏。発行年である明治27年の時点で既に、所有者が変わっていたと思われます。
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