「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第一》 後架先生


画/近藤浩一路


 わがままで思い出したからちょっと吾輩の家の主人がこのわがままで失敗した話をしよう。元来、この主人は何といって人に勝(すぐ)れてできる事もないが、なんにでもよく手を出したがる。俳句をやって「ほととぎす」へ投書をしたり、新体詩「明星」へ出したり、間違いだらけの英文を書いたり、時によると弓に凝(こ)ったり、謡(うたい)を習ったり、またあるときはヴァイオリンなどをブーブー鳴らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。そのくせ、やりだすと胃弱のくせにいやに熱心だ。後架(こうか/便所)の中で謡をうたって、近所で後架先生(こうかせんせい)と、あだ名をつけられているにも関せずいっこう平気なもので、「やはりこれは平の宗盛にて候(そうろう)」【謡曲「熊野(ゆや)」の冒頭で、ワキの宗盛が名乗る最初の句。初心者が習うことの多い曲】を繰り返している。みんなが「そら、宗盛だ」と吹き出すくらいである。


「ほととぎす」
俳句雑誌。明治30年、正岡子規が支援し、柳原極堂が松山にて編集発行人として創刊。翌年から高浜虚子が東京にて編集。
俳句の革新と普及に努め、写生文や小説などの発達にも貢献し、現在なお続刊中。子規や虚子と交友のあった漱石は、「吾輩は猫である」「坊っちゃん」を始め、多数の作品を掲載した。

「子規」とは「ホトトギス」の和名。結核を患って喀血していた子規が、血に啼くような声が特徴とされるホトトギスと自分とをかけて俳号としたとされる。


「新体詩」
伝統的な和歌や漢詩に対して、明治15年に外山正一らが刊行した『新体詩抄』に始まり、近代詩の母体となった源。

「明星」
明治33年、与謝野 寛(与謝野鉄幹)が新詩社の機関誌として創刊した詩歌雑誌。与謝野晶子、石川啄木、北原白秋らが活躍した。ロマン主義詩歌の中心勢力で、明治和歌革新の運動に貢献した。
明治41年、百号で廃刊。

「後架」
禅寺で、僧堂の後にかけわたして設けた洗面所。そのそばに便所があったことから、便所の意となる。


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