「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第二》 鼻が高い


画/司 修


 吾輩は新年来、多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい。
 元朝早々、主人のもとへ一枚の絵ハガキが来た。これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深緑で塗って、その真ん中にひとつの動物がうずくまっているところをパステルでかいてある。主人は例の書斎でこの絵を横から見たり縦からながめたりして「うまい色だな」と言う。すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うと、やはり横から見たり縦から見たりしている。からだをねじ向けたり、手を延ばして年寄りが三世相(さんぜそう)を見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持ってきたりして見ている。早くやめてくれないと膝が揺れて険呑(けんのん)でたまらない。ようやくの事で動揺があまりはげしくなくなったと思ったら、小さな声で「いったい何をかいたのだろう」と言う。主人は絵ハガキの色には感服したが、かいてある動物の正体がわからぬので、さっきから苦心をしたものとみえる。そんなわからぬ絵ハガキかと思いながら、寝ていた目を上品になかば開いて落ちつきはらって見ると、まぎれもない自分の肖像だ。主人のようにアンドレア・デル・サルトをきめこんだものでもあるまいが、画家だけに形体も色彩もちゃんと整ってできている。誰が見たって猫に相違ない。少し眼識のあるものなら、猫のうちでも他の猫じゃない、吾輩である事が判然とわかるように立派にかいてある。このくらい明瞭な事をわからずに、かくまで苦心するかと思うと、少し人間が気の毒になる。できる事ならその絵が吾輩であるという事を知らしてやりたい。吾輩であるという事はよしわからないにしても、せめて猫であるという事だけはわからしてやりたい。しかし人間というものはとうてい吾輩猫属の言語を解しうるくらいに天の恵みに浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにしておいた。


「三世相」
仏教の因縁説に、陰陽道(おんみょうどう)の五行相生・五行相剋(そうこく)の説をまじえ、人の生年月日の干支(えと)や人相などから、三世の因果・吉凶を判断すること。「人相を占うようにしかつめらしいカンジで」といったところか。



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- | 2010/07/09 9:13 AM
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