「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第二》 ちょっと読者に


画/橋口五葉

 ちょっと読者に断っておきたいが、元来人間が、なんぞというと「猫々」と、事もなげに軽侮の口調をもって吾輩を評価する癖があるは、はなはだよくない。人間のカスから牛と馬ができて、牛と馬のクソから猫が製造されたごとく考えるのは、自分の無知に心づかんで高慢な顔をする教師などにはありがちの事でもあろうが、はたから見てあまりみっともいいものじゃない。いくら猫だって、そう粗末簡便にはできぬ。よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会に入ってみるとなかなか複雑なもので、十人十色という人間界の言葉はそのままここにも応用ができるのである。目つきでも、鼻つきでも、毛並でも、足並でも、みんな違う。ヒゲの張り具合から耳の立ちあんばい、しっぽの垂れ加減に至るまで同じものはひとつもない。器量、不器量、好き嫌い、粋無粋(すいぶすい)の数をつくして千差万別といってもさしつかえないくらいである。
 そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の目はただ向上とかなんとか言って空ばかり見ているものだから、吾輩の性質はむろん、相貌の末を識別する事すらとうていできぬのは気の毒だ。同類相求むとは昔からある言葉だそうだがその通り、餅屋は餅屋、猫は猫で、猫の事ならやはり猫でなくてはわからぬ。いくら人間が発達したってこればかりは駄目である。いわんや実際をいうと、彼らがみずから信じているごとくえらくもなんともないのだからなおさらむずかしい。



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