「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第二》 椎茸と合奏会


映画(1975) より


「しばらく御無沙汰をしました。実は去年の暮れからおおいに活動しているものですから、出よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽織の紐をひねくりながら謎みたような事をいう。
「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、黒木綿(くろもめん)の紋付羽織の袖口を引っ張る。この羽織は木綿で(ゆき)が短かい、下からべんべらものが左右へ五分くらいずつはみ出している。
「エヘヘヘ。少し違った方角で」と寒月君が笑う。見ると今日は前歯が一枚欠けている。
「君、歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じた。
「ええ。実はある所でシイタケを食いましてね」
「何を食ったって?」
「その、少しシイタケを食ったんで。シイタケの傘を前歯で噛み切ろうとしたら、ぼろりと歯が欠けましたよ」
「シイタケで前歯が欠けるなんざ、なんだかじじいくさいね。俳句にはなるかもしれないが、恋にはならんようだな」と平手で吾輩の頭を軽く叩く。
「ああ、その猫が例のですか。なかなか肥ってるじゃありませんか。それなら車屋の黒にだって負けそうもありませんね、立派なものだ」と寒月君はおおいに吾輩をほめる。
「近頃だいぶ大きくなったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。ほめられたのは得意であるが頭が少々痛い。
「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月君はまた話をもとへ戻す。
「どこで」
「どこでもそりゃ、お聞きにならんでもよいでしょう。ヴァイオリンが三挺(ちょう)とピアノの伴奏でなかなかおもしろかったです。ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。二人は女で私がその中へまじりましたが、自分でもよく弾けたと思いました」


「裄」(ゆき)
首の下の背中の中心から手の先までの長さ。裄が短いと袖がつんつるてんになる。
袖の短い着物の下に、きちんとした丈の下着を着ていて、下着がはみだしている状態。

「べんべらもの」
安物。または、着古した絹の衣服を軽んじていう言葉。



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