「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第二》 砂糖壺

 ふたりが出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切ったカマボコの残りをちょうだいした。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まず桃川如燕(ももかわじょえん)以後の猫か、グレーの金魚を盗んだ猫くらいの資格は十分あると思う。車屋の黒などはもとより眼中にない。カマボコの一切れくらいちょうだいしたって、人からあれこれ言われる事もなかろう。

画/吉崎正巳


 それに、この人目を忍んで間食をするという癖は、なにも我ら猫族に限った事ではない。うちのおさんなどはよく細君の留守中に餅菓子などを失敬してはちょうだいし、ちょうだいしては失敬している。おさんばかりじゃない、現に上品なしつけを受けつつあると細君から吹聴(ふいちょう)せられている子供ですらこの傾向がある。四、五日前のことであったが、二人の子供が馬鹿に早くから目を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間に、むかい合うて食卓についた。彼らは毎朝主人の食うパンの幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺が卓の上に置かれて匙(さじ)さえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙の砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。しばらく両人はにらみ合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を付加した。姉がまた壺へ手をかける、妹がまた匙をとる。


「桃川如燕」
講釈師。「百猫伝」を得意とし、「猫の如燕」といわれた。

「グレーの金魚をぬすんだ猫」
トーマス・グレイ(1716年−1771年 詩人)の詩、"Ode on the Death of a Favourite Cat, Drowned in a Tub of Gold Fishes"(「金魚をとろうとして(金魚鉢で)溺れた(友人の)愛猫の死に寄せて」)に出てくる猫。



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