「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第二》 悉く真正の日記


映画(1975) より

 人間の心理ほど解(げ)し難いものはない。この主人の今の心は怒っているのだか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道の慰安を求めつつあるのか、ちっともわからない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交りたいのだか、くだらぬ事に肝癪(かんしゃく)を起こしているのか、俗世間の外に超然としているのだかさっぱり見当がつかぬ。
 猫などはそこへいくと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、怒るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一、日記などという無用のものは決してつけない。つける必要がないからである。主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかもしれないが、我ら猫属に至ると行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、行屎送尿(こうしそうにょう)ことごとく真正の日記であるから、別段そんな面倒な手数をして、己の真面目(しんめんもく)を保存するには及ばぬと思う。日記をつけるひまがあるなら縁側に寝ているまでの事さ。


「行住坐臥」
仏教語。人の起居動作の根本である、行くこと・とどまること・座ること・寝ることの四つ。
「行屎送尿」
便所で用を足す意。
2語ひっくるめて、「日常の立ち居振る舞い、生活そのもの」のたとえ。



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