「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第二》 バルザック


画/橋口五葉

 吾輩は猫ではあるが、たいていのものは食う。車屋の黒のように横丁の魚屋まで遠征をする気力はないし、新道(しんみち)の二絃琴の師匠のとこの三毛のように贅沢はむろん言える身分でない。従って存外嫌いは少ない方だ。子供の食いこぼしたパンも食うし、餅菓子の餡もなめる。香の物はすこぶるまずいが経験のため、タクアンを二切ればかりやった事がある。食ってみると妙なもので、たいていのものは食える。あれはいやだ、これはいやだと言うのは贅沢なわがままで、とうてい教師の家にいる猫などの口にすべきところでない。
 主人の話によるとフランスにバルザックという小説家があったそうだ。この男が大の贅沢屋で――もっともこれは口の贅沢屋ではない、小説家だけに文章の贅沢を尽くしたという事である。――バルザックがある日、自分の書いている小説中の人間の名をつけようと思っていろいろつけてみたが、どうしても気にいらない。ところへ友人が遊びに来たのでいっしょに散歩に出掛けた。友人はもとよりなんにも知らずに連れ出されたのであるが、バルザックはかねて自分の苦心している名を見つけようという考えだから、往来へ出るとなにもしないで店先の看板ばかり見て歩いている。ところがやはり気にいった名がない。友人を連れてむやみに歩く。友人は訳がわからずにくっついて行く。彼らはついに朝から晩までパリを探険した。その帰りがけにバルザックは、ふとある裁縫屋の看板が目についた。見るとその看板にマーカスという名が書いてある。バルザックは手をうって「これだこれだこれに限る。マーカスはよい名じゃないか。マーカスの上へZという頭文字をつける、すると申し分のない名ができる。Zでなくてはいかん。Z. Marcus は実にうまい。どうも自分で作った名はうまくつけたつもりでもなんとなくわざとらしいところがあっておもしろくない。ようやくの事で気にいった名ができた」と友人の迷惑はまるで忘れて、一人嬉しがったというが、小説中の人間の名前をつけるに、いちんちパリを探険しなくてはならぬようではずいぶん手数のかかる話だ。贅沢もこのくらいできれば結構なものだが吾輩のように牡蠣的主人を持つ身の上ではとてもそんな気は出ない。なんでもいい、食えさえすれば、という気になるのも境遇のしからしむるところであろう。だから今、雑煮が食いたくなったのも決して贅沢の結果ではない。なんでも食える時に食っておこうという考えから、主人の食いあました雑煮がもしや台所に残っていはすまいかと思い出したからである。……台所へまわってみる。


「二絃琴」
東(あずま)流 二弦琴の略称。
明治初期、藤舎蘆船(とうしゃろせん)が、江戸時代、文人のもてあそびものとされた八雲琴をを長唄風の弾き方に改良、家庭音楽として広めようとした。

「バルザック」
オノレ・ド・バルザック Honoré de Balzac (1799年5月20日-1850年8月18日)
フランスの小説家。


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