「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第三》 今戸焼きの狸


画/村上豊

「あの教師あ、うちの旦那の名を知らないのかね」と飯焚き(めしたき)が言う。
「知らねえ事があるもんか、この界隈(かいわい)で金田さんのお屋敷を知らなけりゃ目も耳もねえ片輪だあな」これは抱え車夫の声である。
「なんとも言えないよ。あの教師ときたら、本よりほかになんにも知らない変人なんだからねえ。旦那の事を少しでも知ってりゃ恐れるかもしれないが、駄目だよ、自分の子供の歳さえ知らないんだもの」と、かみさんが言う。
「金田さんでも恐れねえかな。厄介な唐変木(とうへんぼく)だ。構あこたあねえ、みんなでおどかしてやろうじゃねえか」
「それがいいよ。奥様の鼻が大き過ぎるの顔が気にくわないのって――そりゃあひどい事を言うんだよ。自分のツラあ今戸焼きのタヌキみたようなくせに――あれで一人前だと思っているんだからやりきれないじゃないか」
「顔ばかりじゃない、手拭いをさげて湯に行くところからして、いやに高慢ちきじゃないか。自分くらいえらい者は無いつもりでいるんだよ」と苦沙弥先生は飯焚きにもおおいに不人望である。
「なんでも大勢であいつの垣根のそばへ行って悪口をさんざん言ってやるんだね」
「そうしたらきっと恐れいるよ」
「しかしこっちの姿を見せちゃあおもしろくねえから、声だけ聞かして、勉強の邪魔をした上に、できるだけじらしてやれって、さっき奥様が言いつけておいでなすったぜ」
「そりゃわかっているよ」と、かみさんは悪口の三分の一を引き受けるという意味を示す。
 なるほど、この手合いが苦沙弥先生を冷やかしに来るな、と三人の横をそっと通り抜けて奥へ入る。



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