「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第四》 賤しい家業



 忍びこむと言うと語弊がある。なんだか泥棒か間男(まおとこ)のようで聞き苦しい。吾輩が金田邸へ行くのは、招待こそ受けないが、決してカツオの切り身をちょろまかしたり、目鼻が顔の中心に痙攣的(けいれんてき)に密着している狆(ちん)君などと密談するためではない。――なに、探偵?――もってのほかの事である。およそ世の中に何が賤しい家業だと言って、探偵と高利貸しほど下等な職はないと思っている。なるほど寒月君のために猫にあるまじきほどの義侠心を起こして、ひとたびは金田家の動静をよそながらうかがった事はあるが、それはただの一ぺんで、その後は決して猫の良心に恥ずるような陋劣(ろうれつ/卑劣)なふるまいをいたした事はない。――そんならなぜ忍びこむというようなうろんな文字を使用した?――さあ、それがすこぶる意味のある事だて。元来、吾輩の考えによると大空(たいくう)は万物を覆うため、大地は万物を載せるためにできている――いかに執拗(しつよう)な議論を好む人間でもこの事実を否定する訳にはいくまい。さて、この大空大地を製造するために彼ら人類はどのくらいの労力を費やしているかというと、わずかばかりの手伝いもしておらぬではないか。自分が製造しておらぬものを自分の所有ときめる法はなかろう。自分の所有ときめてもさしつかえないが、他の出入りを禁ずる理由はあるまい。この茫々(ぼうぼう/広々としたさま)たる大地を、小賢(こざか)しくも垣をめぐらし棒杭(ぼうぐい)を立てて某々所有地などと画し限るのは、あたかもかの蒼天に縄張りして、この部分は我の天、あの部分は彼の天、と届け出るようなものだ。もし土地を切り刻んで一坪いくらの所有権を売買するなら、我らが呼吸する空気を一尺立方に割って切り売りをしてもよい訳である。空気の切り売りができず、空の縄張りが不当なら地面の私有も不合理ではないか。このように観ることによって、このような理法を信じている吾輩は、それだからどこへでも入って行く。
 もっとも行きたくない処へは行かぬが、志す方角へは東西南北の差別は入らぬ、平気な顔をしてのそのそと参る。金田ごとき者に遠慮をする訳がない。――しかし猫の悲しさは力ずくではとうてい人間にはかなわない。『力は正義なり』との格言さえあるこの浮き世に存在する以上は、いかにこっちに道理があっても猫の議論は通らない。無理に通そうとすると車屋の黒のごとく不意に魚屋の天秤棒を食らう恐れがある。理はこっちにあるが権力は向こうにあるという場合に、理を曲げて一も二もなく屈従するか、または権力の目をかすめて我理を貫くかといえば、吾輩はむろん後者を選ぶのである。天秤棒は避けざるべからざるが故に、ばざるべからず。人の邸内へは入りこんでさしつかえなき故、まざるをえず。この故に吾輩は金田邸へ忍びこむのである。



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