「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第四》 貰ってはいかん


映画(1936) より、ご注進に走る神さん。

「そこで今日わざわざ君を招いたのだがね」と、しばらく途切れて金田君の声が聞こえる。「そんな馬鹿者は陰からからかってさえいればすむようなものの、少々それでも困る事があるじゃて……」とマグロの刺身を食う時のごとくハゲ頭をぴちゃぴちゃ叩く。もっとも吾輩は縁の下にいるから実際叩いたか叩かないか見えようはずがないが、このハゲ頭の音は近来だいぶ聞き馴れている。比丘尼(びくに)が木魚の音を聞き分けるごとく、縁の下からでも音さえたしかであればすぐハゲ頭だなと出所を鑑定する事ができる。「そこでちょっと君を煩(わずら)わしたいと思ってな……」
「私にできます事ならなんでもご遠慮なくどうか――今度東京勤務という事になりましたのも、まったくいろいろご心配を掛けた結果にほかならん訳でありますから」と、お客さんは快く金田君の依頼を承諾する。この口調で見るとこのお客さんはやはり金田君の世話になる人とみえる。いや、だんだん事件がおもしろく発展してくるな。今日はあまり天気がいいので、来る気もなしに来たのであるが、こういう好材料を得ようとはまったく思いがけなんだ。お彼岸にお寺詣りをして偶然、方丈(ほうじょう/>禅寺で、住職の居室)でぼたもちの御馳走になるようなものだ。金田君はどんな事を客人に依頼するかなと、縁の下から耳を澄まして聞いている。
「あの苦沙弥という変物(へんぶつ)が、どういう訳か水島に入れ智恵をするので。あの金田の娘をもらってはいかんなどとほのめかすそうだ――なあ、鼻子、そうだな」
「ほのめかすどころじゃないんです。あんな奴の娘をもらう馬鹿がどこの国にあるものか。寒月君、決してもらっちゃいかんよって言うんです」
「あんな奴とはなんだ、失敬な。そんな乱暴な事を言ったのか」
「言ったどころじゃありません。ちゃんと車屋のかみさんが知らせに来てくれたんです」
「鈴木君、どうだい。お聞きの通りの次第さ、ずいぶん厄介だろうが?」
「困りますね。ほかの事と違って、こういう事には他人がみだりに差し出口をするべきはずのものではありませんからな。そのくらいな事はいかな苦沙弥でも心得ているはずですが。いったいどうした訳なんでしょう」
「それでの、君は学生時代から苦沙弥と同宿をしていて、今はとにかく、昔は親密な間柄であったそうだからご依頼するのだが、君、当人に逢ってな、よく利害を諭してみてくれんか。なにか怒っているかもしれんが、怒るのは向こうが悪いからで、先方がおとなしくしてさえいれば一身上の便宜も十分計ってやるし、気に障るような事もやめてやる。しかし向こうが向こうならこっちもこっちという気になるからな――つまりそんな我を張るのは当人の損だからな」
「ええ。まったくおっしゃる通り、愚な抵抗をするのは本人の損になるばかりでなんの益もない事ですから、よく申し聞けましょう」
「それから娘はいろいろと申しこみもある事だから、必ず水島にやるときめる訳にもいかんが、だんだん聞いてみると学問も人物も悪くもないようだから、もし当人が勉強して近いうちに博士にでもなったら、あるいはもらう事ができるかもしれんくらいは、それとなくほのめかしても構わん」
「そう言ってやったら当人も励みになって勉強する事でしょう。よろしゅうございます」
「それから、あの妙な事だが――水島にも似合わん事だと思うが、あの変物の苦沙弥を先生先生と言って、苦沙弥の言う事はたいてい聞く様子だから困る。なに、そりゃなにも水島に限る訳ではむろんないのだから、苦沙弥がなんと言って邪魔をしようと、わしの方は別にさしつかえもせんが……」
「水島さんがかわいそうですからね」と鼻子夫人が口を出す。
「水島という人には逢った事もございませんが、とにかくこちらとご縁組ができれば生涯の幸福で、本人はむろん異存はないのでしょう」
「ええ。水島さんはもらいたがっているんですが、苦沙弥だの迷亭だのって変わり者が、なんだとかかんだとか言うものですから」
「そりゃ、よくない事で。相当の教育のある者にも似合わん所作ですな。よく私が苦沙弥の所へ参って談じましょう」
「ああ、どうか。ご面倒でも、一つ願いたい。それから実は水島の事も苦沙弥が一番詳しいのだが、せんだって妻が行った時は今の始末でろくろく聞く事もできなかった訳だから、君から今一応、本人の性行 学才等をよく聞いてもらいたいて」


※金田氏、ここでは夫人のことを吾輩が命名したところの“鼻子”と呼んでいる。(J・KOYAMA)


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