「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第五》 眠る苦沙弥一家


画/近藤浩一路

 ふと目を開いてみると、主人はいつの間にか書斎から寝室へ来て、細君の隣に延べてある布団の中にいつの間にかもぐりこんでいる。主人の癖として寝る時は必ず横文字の小本(こほん)を書斎から携えて来る。しかし横になってこの本を二ページと続けて読んだ事はない。ある時は持って来て枕元へ置いたなり、まるで手を触れぬ事さえある。一行も読まぬくらいならわざわざさげてくる必要もなさそうなものだが、そこが主人の主人たるところで、いくら細君が笑ってもよせと言っても決して承知しない。毎夜読まない本をご苦労千万にも寝室まで運んでくる。ある時は欲張って三、四冊も抱えてくる。せんだってじゅうは毎晩ウェブスターの大字典さえ抱えてきたくらいである。思うにこれは主人の病気で、贅沢な人が竜文堂(りゅうぶんどう/鉄瓶の作者の銘)に鳴る松風の音(鉄瓶や釜の中で湯が煮える音)を聞かないと寝つかれないごとく、主人も書物を枕元に置かないと眠れないのであろう。してみると主人にとっては書物は読むものではない、眠りを誘う器械である。活版の睡眠剤である。
 今夜もなにかあるだろうとのぞいてみると、赤い薄い本が主人の口ヒゲの先につかえるくらいな地位に、半分開かれて転がっている。主人の左の手の親指が本の間に挟まったままであるところから推(お)すと、奇特にも今夜は五、六行読んだものらしい。赤い本と並んで例のごとくニッケルの袂時計(たもとどけい)が春に似合わぬ寒き色を放っている。
 細君は乳飲み児を一尺ばかり先へ放り出して、口を開いていびきをかいて枕をはずしている。およそ人間においてなにが見苦しいと言って、口を開けて寝るほどの不体裁はあるまいと思う。猫などは生涯こんな恥をかいた事がない。元来、口は音を出すため、鼻は空気を吐呑(とどん)するための道具である。もっとも北の方へ行くと人間が無精になって、なるべく口をあくまいと倹約をする結果、鼻で言語を使うようなズーズーもあるが、鼻を閉塞して口ばかりで呼吸の用を弁じているのは、ズーズーよりもみっともないと思う。第一、天井からネズミのフンでも落ちた時、危険である。
 子供の方はと見ると、これも親に劣らぬていたらくで寝そべっている。姉のとん子は、姉の権利はこんなものだと言わぬばかりにうんと右の手を延ばして妹の耳の上へのせている。妹のすん子は、その復讐に姉の腹の上に片足をあげてふんぞり返っている。双方とも寝た時の姿勢より九十度はたしかに回転している。しかもこの不自然なる姿勢を維持しつつ、両人とも不平も言わずおとなしく熟睡している。


「松風」
茶道から。抹茶を立てるのに適当な温度は、沸騰の頂点ではなく(あまりに煮え立ったお湯では、茶の味や香りを損ねるため)、それを過ぎて少し下り坂の煮え加減の時、あるいは沸騰の一歩手前の時で、この時の釜の煮え音を「松風」という。
「松風(しょうふう)」は松籟(しょうらい)とも言い、釜がシュンシュンと鳴る音を表現したもの。風情のある音とされる



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