「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第五》 眠る苦沙弥一家2


画/近藤浩一路

 さすがに春の灯は格別である。天真爛漫ながら無風流極まるこの光景のうちに良夜を惜しめとばかり、ゆかしげに輝やいて見える。もう何時だろうと部屋の中を見まわすと、四隣はしんとしてただ聞こえるものは柱時計と細君のいびきと遠方で下女の歯軋りをする音のみである。この下女は人から歯軋りをすると言われるといつでもこれを否定する女である。「私は生まれてから今日に至るまで歯軋りをした覚えはございません」と強情を張って決して「直しましょう」とも「お気の毒でございます」とも言わず、ただ「そんな覚えはございません」と主張する。なるほど、寝ていてする芸だから覚えはないに違いない。しかし事実は覚えがなくても存在する事があるから困る。世の中には悪い事をしておりながら、自分はどこまでも善人だと考えているものがある。これは自分が罪がないと自信しているのだから無邪気で結構ではあるが、人の困る事実はいかに無邪気でも滅却する訳にはいかぬ。こういう紳士淑女はこの下女の系統に属するのだと思う。
 ――夜はだいぶ更けたようだ。



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