「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第六》 暑い暑い2



 着物だってそうだ。猫のように一年中同じ物を着通せというのは、不完全に生まれついた彼らにとってちと無理かもしれんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へのせて暮らさなくてもの事だ。羊のご厄介になったり、蚕(かいこ)のお世話になったり、綿畑のお情けさえ受けるに至っては、贅沢は無能の結果だと断言してもよいくらいだ。
 衣食はまず大目に見て勘弁するとしたところで、生存上直接の利害もないところまでこの調子で押していくのはちっとも合点(がてん)がいかぬ。第一、頭の毛などというものは自然に生えるものだから、放っておく方がもっとも簡便で当人のためになるだろうと思うのに、彼らはいらぬ算段をして種々雑多な恰好をこしらえて得意である。
 坊主とか自称するものは、いつ見ても頭を青くしている。暑いとその上へ日傘をかぶる。寒いと頭巾(ずきん)で包む。これではなんのために青い物を出しているのか主意が立たんではないか。
 そうかと思うと、櫛とか称する無意味な鋸様(のこぎりよう)の道具を用いて頭の毛を左右に等分して嬉しがってるのもある。等分にしないと、七分三分の割合で頭蓋骨の上へ人為的の区画を立てる。中にはこの仕切りがつむじを通り過して後ろまではみ出しているのがある。まるで贋造(がんぞう/本物に似せて作ること)の芭蕉(ばしょう)の葉のようだ。
 その次には脳天を平らに刈って左右は真っすぐに切り落とす。丸い頭へ四角な枠をはめているから、植木屋を入れた杉垣根の写生としか受け取れない。このほか五分刈り、三分刈り、一分刈りさえあるという話だから、しまいには頭の裏まで刈りこんでマイナス一分刈り、マイナス三分刈りなどという新奇な奴が流行するかもしれない。とにかくそんなに憂き身をやつしてどうするつもりかしらん。
 第一、足が四本あるのに二本しか使わないというのから贅沢だ。四本で歩けばそれだけはか(距離)もいく訳だのに、いつでも二本で済まして、残る二本は到来の棒鱈(ぼうだら)のように手持ち無沙汰にぶら下げているのは馬鹿馬鹿しい。



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