「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第六》 迷亭来宅2


画/村上豊

 いよいよ来たな、これで今日半日はつぶせると思っていると、先生、汗を拭いて肩を入れて例のごとく座敷までずかずか上がって来て「奥さん、苦沙弥君はどうしました」と呼ばわりながら帽子を畳の上へ放り出す。細君は隣座敷で針箱のそばへ突っ伏していい心持ちに寝ている最中に、ワンワンとなんだか鼓膜へ答えるほどの響きがしたのではっと驚いて、覚めぬ目をわざとみはって座敷へ出て来ると、迷亭が薩摩上布(さつまじょうふ)を着て勝手な所へ陣取ってしきりに扇使いをしている。
「おや、いらしゃいまし」と言ったが少々狼狽(ろうばい)の気味で「ちっとも存じませんでした」と鼻の頭へ汗をかいたままお辞儀をする。
「いえ、今、来たばかりなんですよ。今、風呂場でおさんに水をかけてもらってね。ようやく生き帰ったところで――どうも暑いじゃありませんか」
「この二、三日は、ただじっとしておりましても汗が出るくらいで、大変お暑うございます。――でも、お変わりもございませんで」と細君は依然として鼻の汗をとらない。
「ええ、ありがとう。なに暑いくらいでそんなに変わりゃしませんや。しかしこの暑さは別物ですよ。どうも体がだるくってね」
「私なども、ついに昼寝などをいたした事がないんでございますが、こう暑いとつい――」
「やりますかね。いいですよ、昼寝られて、夜寝られりゃ、こんな結構な事はないでさあ」と、あいかわらずのんきな事を並べてみたがそれだけでは不足とみえて「私なんざ、寝たくない質(たち)でね。苦沙弥君などのように、来るたんびに寝ている人を見ると羨ましいですよ。もっとも胃弱にこの暑さはこたえるからね。丈夫な人でも今日なんかは首を肩の上にのせてるのが退儀でさあ。さればと言って、のってる以上はもぎとる訳にもいかずね」と迷亭君、いつになく首の処置に窮している。「奥さんなんざ首の上へまだのっけておくものがあるんだから、座っちゃいられないはずだ。髷(まげ)の重みだけでも横になりたくなりますよ」と言うと、細君は今まで寝ていたのが髷の恰好から露見したと思って「ホホホ。口の悪い」と言いながら頭をいじってみる。


「薩摩上布」
沖縄県宮古・八重山の諸島に産する上質の麻織物。苧麻(ちょま)を手紡ぎにして織ったもの。もと琉球からの貢納物で、薩摩藩が販売したゆえに薩摩の冠がつく。
「麻」は古代から世界各地で利用されており、約20種ほど存在する。 大麻、亜麻(あま)、苧麻(ちょま)、ジュート麻、マニラ麻、サイザル麻など。


※迷亭の“意表を突く登場っぷり”連続ギャグもこの章でおしまいである。風呂で水を浴びている声が聞こえてくるあたりは漱石先生、大いにウケを狙ったとみた。(J・KOYAMA)

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