「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第六》 ハーキュリスの牛2



「ご存じないですか、ちょっと講釈をしましょうか」と言うと、細君もそれには及びませんとも言い兼ねたものだから「ええ」と言った。
「昔、ハーキュリスが牛を引っ張って来たんです」
「そのハーキュリスというのは牛飼いででもござんすか」
「牛飼いじゃありませんよ。牛飼いやいろは(東京各地に支店を持っていた、大きな牛豚肉料理店)の亭主じゃありません。その節はギリシアにまだ牛肉屋が一軒もない時分の事ですからね」
「あら、ギリシアのお話なの? そんならそうおっしゃればいいのに」と細君はギリシアという国名だけは心得ている。
「だってハーキュリスじゃありませんか」
「ハーキュリスならギリシアなんですか」
「ええ。ハーキュリスはギリシアの英雄でさあ」
「どうりで知らないと思いました。それでその男がどうしたんで――」
「その男がね、奥さんみたように眠くなってぐうぐう寝ている――」
「あら、いやだ」
「寝ている間に、ヴァルカンの子が来ましてね」
「ヴァルカンてなんです」
「ヴァルカンは鍛冶屋(かじや)ですよ。この鍛冶屋のせがれがその牛を盗んだんでさあ。ところがね。牛のしっぽを持ってぐいぐい引いて行ったもんだから、ハーキュリスが目を覚まして『牛やーい牛やーい』と尋ねて歩いてもわからないんです。わからないはずでさあ。牛の足跡をつけたって前の方へ歩かして連れて行ったんじゃありませんもの、後ろへ後ろへと引きずって行ったんですからね。鍛冶屋のせがれにしては大出来ですよ」と迷亭先生はすでに天気の話は忘れている。


ヴァルカン
ウルカヌス Vulcanus(英/Vulcan)
ローマ神話の火と鍛冶の神。のちに、ギリシア神話の鍛冶神ヘパイストス Hephaistos と同一視された。



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