「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第七》 吾輩と運動4



 第一、海水がなぜ薬になるかと言えば、ちょっと海岸へ行けばすぐわかる事じゃないか。あんな広い所に魚が何匹おるかわからないが、あの魚が一匹も病気をして医者にかかった試しがない。みんな健全に泳いでいる。病気をすれば、からだが利かなくなる。死ねば必ず浮く。それだから魚の往生を『上がる』と言って、鳥の薨去(こうきょ/>皇族または三位(さんみ)以上の貴人の死去すること)を『落ちる』と唱え、人間の寂滅(じゃくめつ/死ぬこと)を『ごねる』(「死ぬ」の俗語)と号している。
 洋行をしてインド洋を横断した人に『君、魚の死ぬところを見た事がありますか』と聞いてみるがいい、誰でも『いいえ』と答えるにきまっている。それはそう答える訳だ。いくら往復したって一匹も波の上に今息を引き取った――息ではいかん、魚の事だから潮(しお)を引き取ったと言わなければならん――潮を引き取って浮いているのを見た者はないからだ。あの渺々(びょうびょう/果てしなく広いさま)たる、あの漫々たる大海を、日となく夜となく続けざまに石炭を焚いて探して歩いても、古往今来(こおうこんらい)一匹も魚が『上がっ』ておらんところをもって推論すれば、魚はよほど丈夫なものに違いないという断案はすぐに下す事ができる。



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