「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第九》 主人はあばた面2


映画(1936) より

 吾輩は主人の顔を見るたびに考える。まあ、なんの因果でこんな妙な顔をして臆面なく二十世紀の空気を呼吸しているのだろう。昔なら少しは幅も利いたかしらんが、あらゆるあばたが二の腕へ立ち退(の)きを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬の上へ陣取って頑として動かないのは自慢にならんのみか、かえってあばたの体面に関する訳だ。できる事なら今のうち取り払ったらよさそうなものだ。あばた自身だって心細いに違いない。それとも党勢不振の際、誓って落日を中天に挽回せずんばやまず、という意気ごみで、あんなに横風に顔一面を占領しているのかしらん。そうするとこのあばたは決して軽蔑の意をもって見るべきものでない。滔々(とうとう/物事が一つの方向へよどみなく流れ向かうさま)たる流俗に抗する万古不磨(ばんこふま/いつまでも変わらないこと)の穴の集合体であって、おおいに我々の尊敬に値するでこぼこと言ってよろしい。ただ、きたならしいのが欠点である。


「あらゆるあばたが二の腕へ立ち退きを命ぜられた昨今」
漱石自身も、4歳の頃の種痘(天然痘ワクチン)の副作用により、その痕(あと)が鼻の頭や頬などに残っていた。
種痘は二の腕の上方にされたので、うまくワクチンが働けば、痕はその部分だけに残ることになる。
種痘の全国実施は、明治3年4月24日の太政官布告(313号)より。


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