「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第九》 主人はあばた面3



 主人の子供のときに牛込の山伏町に浅田宗伯(あさだそうはく)という漢法の名医があったが、この老人が病家を見舞うときには必ずかごに乗ってそろりそろりと参られたそうだ。ところが宗伯老が亡くなられてその養子の代になったら、かごがたちまち人力車に変じた。だから養子が死んでそのまた養子が跡をついだら、葛根湯がアンチピリン(ピリン系解熱鎮痛薬)に化けるかもしれない。かごに乗って東京市中を練りあるくのは、宗伯老の当時ですらあまりみっともいいものでは無かった。こんな真似をしてすましていたものは旧弊な亡者と、汽車へ積みこまれる豚と、宗伯老とのみであった。
 主人のあばたもそのふるわざる事においては宗伯老のかごと一般で、はたから見ると気の毒なくらいだが、漢法医にも劣らざる頑固な主人は依然として孤城落日(【王維「送韋評事詩」から】孤立無援の城と、西に傾く落日。勢いが衰えて、ひどく心細く頼りないことのたとえ)あばたを天下に曝露(ばくろ)しつつ毎日登校してリードルを教えている。
 かくのごとき前世紀の記念を満面に刻して教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外におおいなる訓戒を垂れつつあるに相違ない。彼は「猿が手を持つ」を反覆するよりも「あばたの顔面に及ぼす影響」という大問題を造作もなく解釈して、不言の間(かん)にその答案を生徒に与えつつある。もし主人のような人間が教師として存在しなくなった暁には、彼ら生徒はこの問題を研究するために図書館もしくは博物館へ駆けつけて、我々がミイラによってエジプト人をほうふつすると同程度の労力を費やさねばならぬ。この点から見ると主人のあばたも、めいめいのうちに妙な功徳(くどく)を施こしている。


「猿が手を持つ」
"The Ape has hands"
当時の中学校用英語の教科書として用いられた"The First Reader of the School and Family Series"(Marcius Willson)、"The English Reader for Japanese Scholars 第一巻"(J.Kuruta 来田丈太郎)には、"The Ape has hands"の一文が最初の英語文として示されており、当時の中学生が最初に習う英語文としてよく知られていたものと思われる。今で言う"This is a pen"のようなものか。


※実際の宗伯邸は牛込横寺町五十三番地にあった。フランス公使の難病を治し、大奥に仕え(天璋院様の侍医でもあった)、清国・韓国公使も診断を乞うたという。
明治27年(1894)、81歳の高齢で死去。宗伯の名はこんにちも浅田飴の創始者として残っている。(J・KOYAMA)



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