「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第九》 髪の長い訳


画/岩崎年勝

 分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったら実はこういう訳である。彼のあばたは単に彼の顔を侵蝕せるのみならず、とっくの昔に脳天まで食いこんでいるのだそうだ。だからもし普通の人のように五分刈りや三分刈りにすると、短かい毛の根本から何十となくあばたがあらわれてくる。いくら撫でてもさすってもぽつぽつがとれない。枯れ野にホタルを放ったようなもので風流かもしれないが、細君の御意(ぎょい)に入らんのはもちろんの事である。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非を曝(あば)くにも当たらぬ訳だ。なろう事なら顔まで毛を生やして、こっちのあばたも内済(ないさい/表沙汰にしないで内々で事をすませること)にしたいくらいなところだから、ただで生える毛を銭(ぜに)を出して刈りこませて、私は頭蓋骨の上まで天然痘(てんねんとう)にやられましたよと吹聴(ふいちょう)する必要はあるまい。――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪を分ける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にあるゆえんで、而して(しこうして)その鏡が一つしかないという事実である。


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