2007.06.18 Monday
明治38年当時の学校制度
旧制中学、旧制高校という言葉があるように、「猫」が発表された当時の学校制度は現在とは違っております。「旧制」とは、現在の学校教育法に基づく制度が実施される前の制度という意味で、現代だからこそ「旧制」をつけて呼ぶだけであって、当時では当然ながら「旧制」はつけず、ただの「中学校」「高校」という呼称です。(「尋常中学」という言い方もありますが…)
以下、Wikipedia を参考に、わかりやすく要約してみました。
■尋常小学校
1886年(明治19年)の小学校令により、尋常小学校・高等小学校が設置される。
尋常小学校(義務教育)の修業年数は4年。尋常小学校修了後に、高等小学校の4年の課程があった。(1900年(明治33年)に改正された小学校令により、高等小学校の課程は「2年または4年」に改正)
◆Wikipedia 尋常小学校の項
■旧制中学校(尋常中学校)
現在の中学の後期課程・高校課程に相当する教育が行われていた。
入学資格は、尋常小学校を卒業していること。修業年限は5年。
旧制中学校を修了していれば、旧制高等学校、大学予科、大学専門部、高等師範学校、旧制専門学校に進学することが可能だった。
また、旧制中学校2年生を修了すると師範学校への進学が可能だった。
◆Wikipedia 旧制中学校の項
以下、注意が必要な語句。
【旧制中等教育学校】
かつて中等教育を行っていた学校のことで、中学校(尋常中学校)のみならず、高等女学校・実業学校(農業学校・工業学校・商業学校)を包めた概念。
[ 旧制中等教育学校 ≧ 旧制中学校(尋常中学校)]
◆Wikipedia 旧制中等教育学校の項
【高等中学校】
1886年(明治19年)4月に公布された中学校令により、尋常中学校・高等中学校の制度が成立。
高等中学校は中学校制度の一部だったが、実質は帝国大学への進学者の基礎教育機関であって、尋常中学校とは性質を著しく異にしていた。このため、1894年(明治27年)6月に「高等学校令」を公布し、従来の官立「高等中学校」7校を「高等学校」と改称。
[ 高等中学校 ≠ 尋常中学校]
◆Wikipedia 高等中学校の項
■旧制高等学校
1950年まで存在した高等教育機関のひとつ。帝国大学入学前の高等教育機関として発展し、エリート層揺籃(ようらん)の場として機能していた。
帝国大学の前身である東京大学の初期の教官は、高級で雇われたお雇い外国人たちであったので、カリキュラムはヨーロッパの大学に倣(なら)い、教科書も原書、授業もノートも答案も外国語という状態だった。このため、専門教育を受けるためにはまず英語やドイツ語等の高い語学能力が不可欠であり、これを身につける予備教育機関として作られたのが大学予備門。(大学予備門は、法令により、第一高等中学校 → 第一高等学校(俗称・一高)へと改正されていく)
【参考リンク】→ 第一高等学校ホームページ
第一高等学校(明治後期)
カリキュラムは、現在の大学の1、2年の教養課程に相当。
第二次世界大戦後の学制改革によって、多くは新制大学の教養部や文理学部の母体となった。
入学資格は、高等科は旧制中学校4年修了時、尋常科は小学校卒業時。
1894年の高等学校令に基づく初期の官立高等学校はすべて3年制。
◆Wikipedia 旧制高等学校の項
■帝国大学
1877年(明治10年)設立の日本唯一の大学「東京大学」を、「大日本帝国の最高学府」と位置づけるために帝国大学令(1886年)を公布し、「帝国大学」に改称・改組した。
1897年に京都帝国大学が設立されるまでは、唯一の大学だった。
1907年、東北帝国大学 設立。(現・東北大学)
1911年、九州帝国大学 設立。(現・九州大学)
1918年、北海道帝国大学 設立。(現・北海道大学)
1931年、大阪帝国大学 設立。(現・大阪大学)
1939年、名古屋帝国大学 設立。(現・名古屋大学)
1949年(昭和24年)の学制改革により新制大学に包括された。
かつて帝国大学であった大学のことを旧帝大と呼ぶことがあり、現在でも、「七帝戦」などと呼ばれる、七大学の定期対抗戦である全国七大学総合体育大会が毎年開催されている。
◆Wikipedia 帝国大学の項
「漱石年譜で見る当時の学制の実際」につづく。
以下、Wikipedia を参考に、わかりやすく要約してみました。
■尋常小学校
1886年(明治19年)の小学校令により、尋常小学校・高等小学校が設置される。
尋常小学校(義務教育)の修業年数は4年。尋常小学校修了後に、高等小学校の4年の課程があった。(1900年(明治33年)に改正された小学校令により、高等小学校の課程は「2年または4年」に改正)
◆Wikipedia 尋常小学校の項
■旧制中学校(尋常中学校)
現在の中学の後期課程・高校課程に相当する教育が行われていた。
入学資格は、尋常小学校を卒業していること。修業年限は5年。
旧制中学校を修了していれば、旧制高等学校、大学予科、大学専門部、高等師範学校、旧制専門学校に進学することが可能だった。
また、旧制中学校2年生を修了すると師範学校への進学が可能だった。
◆Wikipedia 旧制中学校の項
以下、注意が必要な語句。
【旧制中等教育学校】
かつて中等教育を行っていた学校のことで、中学校(尋常中学校)のみならず、高等女学校・実業学校(農業学校・工業学校・商業学校)を包めた概念。
[ 旧制中等教育学校 ≧ 旧制中学校(尋常中学校)]
◆Wikipedia 旧制中等教育学校の項
【高等中学校】
1886年(明治19年)4月に公布された中学校令により、尋常中学校・高等中学校の制度が成立。
高等中学校は中学校制度の一部だったが、実質は帝国大学への進学者の基礎教育機関であって、尋常中学校とは性質を著しく異にしていた。このため、1894年(明治27年)6月に「高等学校令」を公布し、従来の官立「高等中学校」7校を「高等学校」と改称。
[ 高等中学校 ≠ 尋常中学校]
◆Wikipedia 高等中学校の項
■旧制高等学校
1950年まで存在した高等教育機関のひとつ。帝国大学入学前の高等教育機関として発展し、エリート層揺籃(ようらん)の場として機能していた。
帝国大学の前身である東京大学の初期の教官は、高級で雇われたお雇い外国人たちであったので、カリキュラムはヨーロッパの大学に倣(なら)い、教科書も原書、授業もノートも答案も外国語という状態だった。このため、専門教育を受けるためにはまず英語やドイツ語等の高い語学能力が不可欠であり、これを身につける予備教育機関として作られたのが大学予備門。(大学予備門は、法令により、第一高等中学校 → 第一高等学校(俗称・一高)へと改正されていく)
【参考リンク】→ 第一高等学校ホームページ
第一高等学校(明治後期)
カリキュラムは、現在の大学の1、2年の教養課程に相当。
第二次世界大戦後の学制改革によって、多くは新制大学の教養部や文理学部の母体となった。
入学資格は、高等科は旧制中学校4年修了時、尋常科は小学校卒業時。
1894年の高等学校令に基づく初期の官立高等学校はすべて3年制。
◆Wikipedia 旧制高等学校の項
■帝国大学
1877年(明治10年)設立の日本唯一の大学「東京大学」を、「大日本帝国の最高学府」と位置づけるために帝国大学令(1886年)を公布し、「帝国大学」に改称・改組した。
1897年に京都帝国大学が設立されるまでは、唯一の大学だった。
1907年、東北帝国大学 設立。(現・東北大学)
1911年、九州帝国大学 設立。(現・九州大学)
1918年、北海道帝国大学 設立。(現・北海道大学)
1931年、大阪帝国大学 設立。(現・大阪大学)
1939年、名古屋帝国大学 設立。(現・名古屋大学)
1949年(昭和24年)の学制改革により新制大学に包括された。
かつて帝国大学であった大学のことを旧帝大と呼ぶことがあり、現在でも、「七帝戦」などと呼ばれる、七大学の定期対抗戦である全国七大学総合体育大会が毎年開催されている。
◆Wikipedia 帝国大学の項
「漱石年譜で見る当時の学制の実際」につづく。