「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第拾一》 四角の板に黒白の石



 吾輩は世間が狭いから、碁盤というものは近来になってはじめて拝見したのだが、考えれば考えるほど妙にできている。広くもない四角な板を狭苦しく四角に仕切って、目がくらむほどごたごたと黒白の石をならべる。そうして勝ったとか負けたとか、死んだとか生きたとか、あぶら汗を流して騒いでいる。たかが一尺四方くらいの面積だ。猫の前足でかき散らしてもめちゃめちゃになる。引き寄せて結べば草の庵にて、解くればもとの野原なりけり。いらざるいたずらだ。懐手(ふところで)をして盤をながめている方がはるかに気楽である。
 それも最初の三、四十目(もく)は、石の並べ方では別段目障りにもならないが、いざ天下わけ目という間際にのぞいてみると、いやはやお気の毒な有り様だ。白と黒が盤からこぼれ落ちるまでに押し合って、お互いにギューギュー言っている。窮屈だからといって、隣の奴にどいてもらう訳にもいかず、邪魔だと申して前の先生に退去を命ずる権利もなし、天命とあきらめてじっとして身動きもせず、すくんでいるよりほかにどうする事もできない。碁を発明したものは人間で、人間の嗜好が局面にあらわれるものとすれば、窮屈なる碁石の運命はせせこましい人間の性質を代表していると言ってもさしつかえない。人間の性質が碁石の運命で推知(すいち)する事ができるものとすれば、人間とは天高海濶(てんこうかいかつ/天地の広大なさま)の世界を我からと縮めて、己の立つ両足以外にはどうあっても踏み出せぬように、小刀細工(こがたなざいく)で自分の領分に縄張りをするのが好きなんだと断言せざるを得ない。人間とは強(し)いて苦痛を求めるものであると一言に評してもよかろう。


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