「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第拾一》 釜中の章魚(タコ)



「そんな無駄口を叩くとまた負けるぜ」と主人は迷亭に注意する。迷亭は平気なもので
「勝ちたくても、負けたくても、相手が釜中(ふちゅう)のタコ同然手も足も出せないのだから、僕も無聊(ぶりょう/退屈)でやむを得ずヴァイオリンのお仲間をつかまつるのさ」と言うと、相手の独仙君はいささか激した調子で、「今度は君の番だよ。こっちで待ってるんだ」と言い放った。
「え? もう打ったのかい」
「打ったとも、とうに打ったさ」
「どこへ」
「この白をはす(ななめ。はすかい)に延ばした」
「なあるほど。この白をはすに延ばして負けにけりか。そんならこっちはと――こっちは――こっちはこっちはとて暮れにけりと、どうもいい手がないね。君、もう一ぺん打たしてやるから勝手なところへ一目(いちもく)打ちたまえ」
「そんな碁があるものか」


「釜中のタコ」
本来は「釜中の魚(うお)」。
《「資治通鑑」漢紀から》まもなく煮られようとしている釜の中の魚。死が迫っていることをいう語。魚(うお)の釜中に遊ぶが如し。
生存久しくないたとえに使う「釜中の魚」という熟語を、足のあるタコで言い換えて「手も足も出せない」と続けた。

「こっちはこっちはとて暮れにけり」
加賀千代女の作という「時鳥(ホトトギス) 時鳥とて 明けにけり」をもじったもの。


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