「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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「吾輩ハ猫デアル」上篇 自序

【注記】「吾輩ハ猫デアル」上篇に収録された「序文」ではありますが、内容的に「後書き」相当なので、上篇(第一章から第五章)のラストにこの文章を持ってきました。


「吾輩は猫である」は雑誌ホトトギスに連載した続き物である。もとより纏(まと)まった話の筋を読ませる普通の小説ではないから、どこで切って一冊としても興味の上においてさしたる影響のあろうはずがない。しかし自分の考えではもう少し書いたうえでと思っていたが、書肆(しょし/出版社)がしきりに催促をするのと、多忙で意のごとく稿を続(つ)ぐ余暇がないので、さしあたりこれだけを出版することにした。
 自分がすでに雑誌へ出したものを再び単行本の体裁として公にする以上は、これを公にするだけの価値があるという意味に解釈されるかもしれぬ。「吾輩は猫である」が、はたしてそれだけの価値があるかないかは著者の分として言うべき限りでないと思う。ただ自分の書いたものが自分の思うような体裁で世の中へ出るのは、内容の価値いかんにかかわらず、自分だけは嬉しい感じがする。自分に対してはこの事実が出版を促すに十分な動機である。
 この書を公にするについて中村不折氏は数棄の挿画(さしえ)をかいてくれた。橋口五葉氏は表紙その他の模様を意匠(いしょう/デザイン)してくれた。両君のお蔭によって文章以外に一種の趣味を添え得たるは余の深く徳とするところである。
 自分が今まで「吾輩は猫である」を草しつつあったさい、一面識もない人が時々書信または絵ハガキなどをわざわざ寄せて意外の褒辞(ほうじ/褒めたたえる言葉)を賜ったことがある。自分が書いたものがこんな見ず知らずの人から同情を受けているということを発見するのは非常に有難い。今出版の機を利用して、これらの諸君に向かって一言感謝の意を表する。
 この書は趣向もなく、構造もなく、尾頭(おかしら)の心もとなき海鼠(ナマコ)のような文章であるから、たといこの一巻で消えてなくなったところで、いっこうさしつかえはない。また実際消えてなくなるかもしれん。しかし将来忙中に閑を偸(ぬす)んで(わずかの時間をやりくりして、何かをする)硯(すずり)の塵を吹く機会があれば、再び稿を続(つ)ぐつもりである。猫が生きているあいだは――猫が丈夫でいるあいだは――猫が気が向くときは――余もまた筆を執(と)らねばならぬ。

   明治38年10月6日


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