「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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「吾輩ハ猫デアル」下篇 自序



【注記】「吾輩ハ猫デアル」下篇に収録された「序文」ではありますが、内容的に「後書き」相当なので、下篇(第十章から第拾一章)のラストにこの文章を持ってきました。

「猫」の下巻を活字に植えてみたら、頁(ページ)が足りないから、もう少し書き足してくれという。書肆(しょし/出版社)は、「猫」を以て伸縮自在と心得ているらしい。いくら猫でもいったん甕(かめ)へ落ちて往生した以上は、そう安っぽく復活が出来る訳のものではない。頁が足らんからというて、おいそれと甕から這(は)い上がるようでは猫の沽券(こけん)にも関わる事だから、これだけは御免蒙(ごめんこうむ)ることに致した。
「猫」の甕へ落ちる時分は、漱石先生は、巻中の主人公 苦沙弥先生と同じく教師であった。甕へ落ちてから何カ月経(た)ったか、大往生を遂げた猫はもとより知る筈(はず)がない。しかしこの序を書く今日の漱石先生は既に教師ではなくなった。主人 苦沙弥先生も今頃は休職か、免職になったかもしれぬ。
 世の中は猫の目玉のようにぐるぐる回転している。わずか数カ月のうちに往生するのもできる。月給を棒に振るものもできる。暮れも過ぎ正月も過ぎ、花も散って、また若葉の時節となった。これからどのくらい回転するかわからない、ただ、とこしえに変わらぬものは、甕の中の猫の中の眼玉の中の瞳だけである。

  明治四十年五月

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