「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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文鳥 [2]






 そのうち霜が降り出した。自分は毎日伽藍(がらん)のような書斎に、寒い顔を片づけてみたり、取り乱してみたり、頬杖をついたりやめたりして暮らしていた。
 戸は二重に締め切った。
 火鉢に炭ばかり継いでいる。
 文鳥はついに忘れた。






画/市川禎男




 ところへ三重吉が門口(かどぐち)から威勢よく入って来た。時は宵の口であった。寒いから火鉢の上へ胸から上を翳(かざ)して、浮かぬ顔をわざとほてらしていたのが急に陽気になった。三重吉は豊隆(ほうりゅう/当時、東京帝国大学独文科三年生の小宮豊隆)を従えている。豊隆はいい迷惑である。二人が籠を一つずつ持っている。その上に三重吉が大きな箱を兄き分に抱えている。五円札が文鳥と籠と箱になったのはこの初冬(はつふゆ)の晩であった。










 三重吉は大得意である。まあ、ご覧なさいと云う。豊隆、そのランプをもっとこっちへ出せなどと云う。そのくせ寒いので鼻の頭が少し紫色になっている。
 なるほど立派な籠ができた。台が漆(うるし)で塗ってある。竹は細く削った上に、色が染(つ)けてある。それで三円だと云う。安いなあ豊隆、と云っている。豊隆は、うん安いと云っている。自分は安いか高いか判然と判らないが、まあ安いなあと云っている。よいのになると二十円もするそうですと云う。二十円はこれで二へん目である。二十円に比べて安いのは無論である。






小宮豊隆(左) 明治17年(1884)-昭和41年(1966)、ルビが“ほうりゅう”になっていますがこれは単行本に収録されてからで、初出の新聞連載では“とよたか”だそうです。右は鈴木三重吉。




 この漆はね、先生、日向へ出して曝(さら)しておくうちに黒味が取れてだんだん朱(しゅ)の色が出て来ますから、――そうしてこの竹はいっぺんよく煮たんだから大丈夫ですよ、などと、しきりに説明をしてくれる。何が大丈夫なのかねと聞き返すと、まあ鳥をご覧なさい、きれいでしょうと云っている。
 なるほどきれいだ。次の間(ま)へ籠を据えて四尺ばかりこっちから見ると少しも動かない。薄暗い中に真っ白に見える。籠の中にうずくまっていなければ鳥とは思えないほど白い。なんだか寒そうだ。
 寒いだろうねと聞いてみると、そのために箱を作ったんだと云う。夜になればこの箱に入れてやるんだと云う。籠が二つあるのはどうするんだと聞くと、この粗末な方へ入れて時々行水(ぎょうずい)を使わせるのだと云う。これは少し手数が掛かるなと思っていると、それから糞(フン)をして籠を汚しますから、時々掃除をしておやりなさいとつけ加えた。三重吉は文鳥のためにはなかなか強硬である。










 それをはいはい引き受けると、今度は三重吉が袂(たもと)から粟(あわ)を一袋出した。これを毎朝食わせなくっちゃいけません。もし餌(え)をかえてやらなければ、餌壺(えつぼ)を出して殻(から)だけ吹いておやんなさい。そうしないと文鳥が実のある粟を一々拾い出さなくっちゃなりませんから。水も毎朝かえておやんなさい。先生は寝坊だからちょうどよいでしょう、と大変文鳥に親切を極めている。そこで自分も、よろしいと万事受け合った。ところへ豊隆が袂(たもと)から餌壺と水入を出して行儀よく自分の前に並べた。こういっさい万事を調(ととの)えておいて、実行を迫られると、義理にも文鳥の世話をしなければならなくなる。内心ではよほど覚束(おぼつか)なかったが、まずやってみようとまでは決心した。もしできなければ、うちのものがどうかするだろうと思った。



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