「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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文鳥 [7]






 小説はしだいに忙しくなる。
 朝は依然として寝坊をする。
 一度、家(うち)のものが文鳥の世話をしてくれてから、なんだか自分の責任が軽くなったような心持ちがする。家のものが忘れる時は、自分が餌をやる水をやる。籠の出し入れをする。しない時は、家のものを呼んでさせる事もある。自分はただ文鳥の声を聞くだけが役目のようになった。
 それでも縁側へ出る時は、必ず籠の前へ立ち留まって文鳥の様子を見た。たいていは狭い籠を苦にもしないで、二本の留り木を満足そうに往復していた。天気の好い時は薄い日を硝子越しに浴びて、しきりに鳴き立てていた。しかし三重吉の云ったように、自分の顔を見てことさらに鳴く気色はさらになかった。





画/つげ義春




 自分の指からじかに餌を食うなどと云う事は無論なかった。折々、機嫌のいい時は麺麭(パン)の粉(こ)などをひとさし指の先へつけて竹の間からちょっと出して見る事があるが文鳥はけっして近づかない。少し無遠慮に突きこんで見ると、文鳥は指の太いのに驚いて白い翼を乱して籠の中を騒ぎまわるのみであった。二、三度試みた後、自分は気の毒になって、この芸だけは永久に断念してしまった。今の世にこんな事のできるものがいるかどうだかはなはだ疑わしい。おそらく古代の聖徒(セイント)の仕事だろう。三重吉は嘘をついたに違いない。





明治時代の内裏雛は向かって左が男雛




 ある日の事、書斎で例のごとくペンの音を立ててわびしい事を書き連ねていると、ふと妙な音が耳に入った。縁側でさらさら、さらさら云う。女が長い衣(きぬ)の裾(すそ)を捌(さば)いているようにも受け取られるが、ただの女のそれとしては、あまりにぎょうさんである。雛段(ひなだん)をあるく、内裏雛(だいりびな)の袴(はかま)の襞(ひだ)の擦(す)れる音とでも形容したらよかろうと思った。自分は書きかけた小説をよそにして、ペンを持ったまま縁側へ出て見た。すると文鳥が行水(ぎょうずい)を使っていた。









 水はちょうど易(か)えたてであった。文鳥は軽い足を水入れの真ん中に胸毛まで浸して、時々は白い翼を左右にひろげながら、心持ち水入の中にしゃがむように腹をおしつけつつ、総身の毛を一度に振っている。そうして水入の縁(ふち)にひょいと飛び上がる。しばらくしてまた飛びこむ。水入れの直径は一寸五分ぐらいに過ぎない。飛びこんだ時は尾も余り、頭も余り、背はむろん余る。水に浸かるのは足と胸だけである。それでも文鳥は欣然(きんぜん)として行水を使っている。
 自分は急に易籠(かえかご)を取って来た。そうして文鳥をこの方へ移した。それから如露(じょろ)を持って風呂場へ行って、水道の水をくんで、籠の上からさあさあとかけてやった。如露(じょろ)の水が尽きる頃には、白い羽根から落ちる水が珠(たま)になって転がった。文鳥は絶えず眼をぱちぱちさせていた。









 昔、紫の帯上げでいたずらをした女が、座敷で仕事をしていた時、裏二階から懐中鏡(ふところかがみ)で女の顔へ春の光線を反射させて楽しんだ事がある。女は薄紅(うすあか)くなった頬を上げて、細い手を額の前に翳(かざ)しながら、不思議そうにまばたきをした。この女とこの文鳥とはおそらく同じ心持ちだろう。



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