「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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文鳥 [8]






 日数(ひかず)が立つにしたがって文鳥はよく囀(さえ)ずる。しかしよく忘れられる。ある時は餌壺(えつぼ)が粟(あわ)の殻だけになっていた事がある。ある時は籠の底が糞でいっぱいになっていた事がある。ある晩宴会があって遅く帰ったら、冬の月が硝子越しに差し込んで、広い縁側がほの明るく見えるなかに、鳥籠がしんとして、箱の上に乗っていた。その隅に文鳥の体が薄白く浮いたまま留り木の上に、あるか無きかに思われた。自分は外套(がいとう)の羽根を返して、すぐ鳥籠を箱のなかへ入れてやった。




画/谷口ジロー
この猫は“吾輩”のモデルになった猫であろう。この時はまだ元気だったようだが、「文鳥」連載後の明治41年(1908)9月13日の日曜日夜に死んだ。老衰で物置のへっついの上で死んでいたという。漱石は翌日門下生たちに猫の死亡通知を書き送った。





 翌日文鳥は例のごとく元気よく囀(さえず)っていた。それからは時々寒い夜も箱にしまってやるのを忘れることがあった。ある晩いつもの通り書斎で専念にペンの音を聞いていると、突然縁側の方でがたりと物の覆(くつがえ)った音がした。しかし自分は立たなかった。依然として急ぐ小説を書いていた。わざわざ立って行って、何でもないといまいましいから、気にかからないではなかったが、やはりちょっと聞き耳を立てたまま知らぬ顔ですましていた。その晩寝たのは十二時過ぎであった。便所に行ったついで、気がかりだから、念のため一応縁側へ廻って見ると――
 籠は箱の上から落ちている。そうして横に倒れている。水入れも餌壺(えつぼ)も引っくりかえっている。粟は一面に縁側に散らばっている。留り木は抜け出している。文鳥はしのびやかに鳥籠の桟(さん)にかじりついていた。自分は明日から誓ってこの縁側に猫を入れまいと決心した。




画/つげ義春




 翌日(あくるひ)文鳥は鳴かなかった。粟を山盛り入れてやった。水を漲(みなぎ)るほど入れてやった。文鳥は一本足のまま長らく留り木の上を動かなかった。午飯(ひるめし)を食ってから、三重吉に手紙を書こうと思って、二、三行書き出すと、文鳥がちちと鳴いた。自分は手紙の筆を留めた。文鳥がまたちちと鳴いた。出て見たら粟も水もだいぶん減っている。手紙はそれぎりにして裂いて捨てた。





画/谷口ジロー




 翌日、文鳥がまた鳴かなくなった。留り木を下りて籠の底へ腹をおしつけていた。胸の所が少し膨らんで、小さい毛が漣(さざなみ)のように乱れて見えた。自分はこの朝、三重吉から例の件で某所まで来てくれと云う手紙を受け取った。十時までにと云う依頼であるから、文鳥をそのままにしておいて出た。三重吉に逢ってみると例の件がいろいろ長くなって、いっしょに午飯(ひるめし)を食う。いっしょに晩飯(ばんめし)を食う。その上、明日の会合まで約束してうちへ帰った。帰ったのは夜の九時頃である。文鳥の事はすっかり忘れていた。疲れたから、すぐ床へはいって寝てしまった。



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