「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第二》 砂糖壺2


画/近藤浩一路


 見ている間に一杯一杯一杯と重なって、ついにはふたりの皿には山盛りの砂糖がうずたかくなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけまなこをこすりながら寝室を出て来て、せっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優っているかもしれぬが、智恵はかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛りにしないうちに早くなめてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながらお櫃(おはち/飯びつ)の上から黙って見物していた。



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《第二》 主人の帰宅


画/下高原千歳


 寒月君と出掛けた主人はどこをどう歩いたものか、その晩遅く帰って来て、翌日食卓についたのは九時頃であった。例のお櫃(おはつ/飯びつ)の上から拝見していると、主人はだまって雑煮を食っている。お代わりをしては食い、お代わりをしては食う。餅の切れは小さいが、なんでも六切れか七切れ食って、最後の一切れを椀の中へ残して、「もうよそう」と箸を置いた。他人がそんなわがままをすると、なかなか承知しないのであるが、主人の威光を振りまわして得意なる彼は、濁った汁の中に焦げただれた餅の死骸を見て平気ですましている。



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《第二》 タカヂアスターゼ



 細君が袋戸の奥からタカヂアスターゼを出して卓の上に置くと、主人は「それは利かないから飲まん」という。
「でもあなた、デンプン質のものには大変功能があるそうですから、召し上がったらいいでしょう」と飲ませたがる。
「デンプンだろうがなんだろうが駄目だよ」と頑固に出る。
「あなたはほんとにあきっぽい」と細君がひとりごとのように言う。
「あきっぽいのじゃない。薬が利かんのだ」
「それだってせんだってじゅうは大変によく利くよく利くとおっしゃって毎日毎日召し上がったじゃありませんか」
「こないだうちは利いたのだよ、この頃は利かないのだよ」と対句(ついく)のような返事をする。
「そんなに飲んだりやめたりしちゃ、いくら功能のある薬でも利く気遣いはありません、もう少ししんぼうがよくなくっちゃあ胃弱なんぞはほかの病気たあ違って治らないわねえ」と、お盆を持って控えたおさんを顧みる。
「それは本当のところでございます。もう少し召し上がってごらんにならないと、とてもよい薬か悪い薬かわかりますまい」と、おさんは一も二もなく細君の肩を持つ。
「なんでもいい、飲まんのだから飲まんのだ、女なんかになにがわかるものか、黙っていろ」
「どうせ女ですわ」と細君がタカヂアスターゼを主人の前へ突きつけて、ぜひ詰め腹を切らせようとする。主人はなんにも言わず立って書斎へ入る。細君とおさんは顔を見合わせてにやにやと笑う。



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《第二》 散歩日記


第二章が書かれた翌年、明治39年(1906)の上野駅 石黒敬章編「総天然色写眞版なつかしき東京」(1992 講談社)より


 こんなときに後からくっついて行って膝の上へ乗ると、大変な目にあわされるから、そっと庭からまわって書斎の縁側へ上がって障子の隙からのぞいてみると、主人は

エピクテタスとかいう人の本をひらいて見ておった。もしそれがいつもの通りわかるならちょっとえらいところがある。五、六分するとその本を叩きつけるように机の上へ放りだす。おおかたそんな事だろうと思いながらなお注意していると、今度は日記帳を出して次のような事を書きつけた。 
 

寒月と、根津、上野、池の端、神田のへんを散歩。



「エピクテタス」
Epictetus (55頃 – 135頃)
ストア派のギリシアの哲学者。



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《第二》 日記の芸者


画/丹羽和子 
 

池の端の待合の前で芸者が裾模様の春着をきて羽根をついていた。衣装は美しいが顔はすこぶるまずい。なんとなくうちの猫に似ていた。


 なにも顔のまずい例に特に吾輩を出さなくってもよさそうなものだ。吾輩だって喜多床(きたどこ)へ行って顔さえ剃ってもらやあ、そんなに人間と違ったところはありゃしない。人間はこううぬぼれているから困る。 


 宝丹(ほうたん)の角を曲がるとまた一人芸者が来た。これは背のすらりとした撫で肩の恰好よくできあがった女で、着ている薄紫のきものも素直に着こなされて上品に見えた。白い歯を出して笑いながら「源ちゃんゆうべは――つい忙しかったもんだから」と言った。ただしその声は旅ガラスのごとくしゃがれておったので、せっかくの風采(ふうさい)もおおいに下落したように感ぜられたから、いわゆる源ちゃんなるもののいかなる人なるかを振り向いて見るも面倒になって、懐手のまま御成道(おなりみち)へ出た。寒月はなんとなくそわそわしているごとく見えた。



「喜多床」
当時、東京大学正門の筋向かいにあった理髪店。

「宝丹」
当時、下谷区池之端仲町にあった守田宝丹本舗。
「宝丹」は解毒剤の名前。


※漱石も作中の主人みたいに街で見かけ、ちょっと惚れた女性について日記に書いている。“鰹節屋のおかみさん”は明治42年(1909)の日記に3回も登場する。曰く「歌麿のかいた女」。
散歩の度あまり見つめるので、亭主が変な顔してこっちを眺めるようになり、それからはあまり見ぬように取り決めた…というオチが付く。(J・KOYAMA)





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《第二》 悉く真正の日記


映画(1975) より

 人間の心理ほど解(げ)し難いものはない。この主人の今の心は怒っているのだか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道の慰安を求めつつあるのか、ちっともわからない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交りたいのだか、くだらぬ事に肝癪(かんしゃく)を起こしているのか、俗世間の外に超然としているのだかさっぱり見当がつかぬ。
 猫などはそこへいくと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、怒るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一、日記などという無用のものは決してつけない。つける必要がないからである。主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかもしれないが、我ら猫属に至ると行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、行屎送尿(こうしそうにょう)ことごとく真正の日記であるから、別段そんな面倒な手数をして、己の真面目(しんめんもく)を保存するには及ばぬと思う。日記をつけるひまがあるなら縁側に寝ているまでの事さ。


「行住坐臥」
仏教語。人の起居動作の根本である、行くこと・とどまること・座ること・寝ることの四つ。
「行屎送尿」
便所で用を足す意。
2語ひっくるめて、「日常の立ち居振る舞い、生活そのもの」のたとえ。



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《第二》 胃弱には晩酌


画/丹羽和子 


 神田の某亭で晩餐を食う。久しぶりで正宗
(日本酒)を二、三杯飲んだら、今朝は胃の具合が大変いい。胃弱には晩酌が一番だと思う。タカヂアスターゼはむろんいかん。誰がなんと言っても駄目だ。どうしたって利かないものは利かないのだ。


 むやみにタカヂアスターゼを攻撃する。ひとりで喧嘩をしているようだ。今朝の肝癪がちょっとここへ尾を出す。人間の日記の本色はこういうへんに存するのかもしれない。



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《第二》 カーライルも胃弱

 


 せんだって○○は朝飯を廃すると胃がよくなると言うたから、二、三日朝飯をやめてみたが、腹がぐうぐう鳴るばかりで功能はない。
 △△はぜひ香の物
(漬け物)を断てと忠告した。彼の説によると、すべて胃病の原因は漬け物にある。漬け物さえ断てば胃病の源を涸(か)らす訳だから本復は疑いなしという論法であった。それから一週間ばかり香の物に箸を触れなかったが別段の効能もなかったから近頃はまた食い出した。
 ××に聞くと、それは按腹
(あんぷく)揉み療治に限る。ただし普通のではゆかぬ。皆川流という古流な揉み方で一、二度やらせればたいていの胃病は根治できる。安井息軒(やすいそっけん)も大変この按摩術(あんまじゅつ)を愛していた。坂本竜馬のような豪傑でも時々は治療をうけたというから、早速、上根岸まで出掛けて揉ましてみた。ところが骨を揉まなければなおらぬとか、臓腑の位置を一度、転倒しなければ根治がしにくいとか言って、それはそれは残酷な揉み方をやる。後で身体が綿のようになって昏睡病にかかったような心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。
 A君はぜひ固形体を食うなと言う。それから、一日牛乳ばかり飲んで暮らしてみたが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかった。
 B氏は横膈膜で呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になる訳だから試しにやってごらんと言う。これも多少やったがなんとなく腹中が不安で困る。それに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの、五、六分立つと忘れてしまう。忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読む事も文章をかく事もできぬ。美学者の迷亭がこの体
(てい)を見て、産気のついた男じゃあるまいしよすがいいと冷やかしたから、この頃はよしてしまった。
 C先生は蕎麦
(ソバ)を食ったらよかろうと言うから、早速かけもりをかわるがわる食ったが、これは腹が下るばかりでなんらの功能もなかった。
 余は、年来の胃弱を治すためにできうる限りの方法を講じてみたがすべて駄目である。ただゆうべ、寒月と傾けた三杯の正宗はたしかに利き目がある。これからは毎晩二、三杯ずつ飲む事にしよう。


 これも決して長く続く事はあるまい。主人の心は吾輩の目玉のように間断なく変化している。なにをやっても長持ちのしない男である。その上、日記の上で胃病をこんなに心配しているくせに、表向きはおおいに痩せ我慢をするからおかしい。せんだってその友人で某という学者が尋ねて来て、一種の見地から、すべての病気は父祖の罪悪と自己の罪悪の結果にほかならないという議論をした。だいぶ研究したものとみえて、条理が明晰で秩序が整然として立派な説であった。気の毒ながらうちの主人などはとうていこれを反駁(はんばく)するほどの頭脳も学問もないのである。しかし自分が胃病で苦しんでいる際だから、なんとかかんとか弁解をして自己の面目を保とうと思ったものとみえて、「君の説は面白いが、あのカーライルは胃弱だったぜ」と、あたかもカーライルが胃弱だから自分の胃弱も名誉であるといったような見当違いの挨拶をした。すると友人は「カーライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれないさ」と、きめつけたので主人は黙然としていた。
 かくのごとく虚栄心に富んでいるものの、実際はやはり胃弱でない方がいいとみえて、今夜から晩酌を始めるなどというのはちょっと滑稽だ。考えてみると今朝雑煮をあんなにたくさん食ったのも、ゆうべ寒月君と正宗をひっくり返した影響かもしれない。吾輩もちょっと雑煮が食ってみたくなった。


「カーライル」
Tohmas Carlyle(1795年12月4日 - 1881年2月5日)
イギリスの評論家、歴史家。


※第一章の美学者が迷亭という名だということはこの日記で初めて知れる。(J・KOYAMA)

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《第二》 バルザック


画/橋口五葉

 吾輩は猫ではあるが、たいていのものは食う。車屋の黒のように横丁の魚屋まで遠征をする気力はないし、新道(しんみち)の二絃琴の師匠のとこの三毛のように贅沢はむろん言える身分でない。従って存外嫌いは少ない方だ。子供の食いこぼしたパンも食うし、餅菓子の餡もなめる。香の物はすこぶるまずいが経験のため、タクアンを二切ればかりやった事がある。食ってみると妙なもので、たいていのものは食える。あれはいやだ、これはいやだと言うのは贅沢なわがままで、とうてい教師の家にいる猫などの口にすべきところでない。
 主人の話によるとフランスにバルザックという小説家があったそうだ。この男が大の贅沢屋で――もっともこれは口の贅沢屋ではない、小説家だけに文章の贅沢を尽くしたという事である。――バルザックがある日、自分の書いている小説中の人間の名をつけようと思っていろいろつけてみたが、どうしても気にいらない。ところへ友人が遊びに来たのでいっしょに散歩に出掛けた。友人はもとよりなんにも知らずに連れ出されたのであるが、バルザックはかねて自分の苦心している名を見つけようという考えだから、往来へ出るとなにもしないで店先の看板ばかり見て歩いている。ところがやはり気にいった名がない。友人を連れてむやみに歩く。友人は訳がわからずにくっついて行く。彼らはついに朝から晩までパリを探険した。その帰りがけにバルザックは、ふとある裁縫屋の看板が目についた。見るとその看板にマーカスという名が書いてある。バルザックは手をうって「これだこれだこれに限る。マーカスはよい名じゃないか。マーカスの上へZという頭文字をつける、すると申し分のない名ができる。Zでなくてはいかん。Z. Marcus は実にうまい。どうも自分で作った名はうまくつけたつもりでもなんとなくわざとらしいところがあっておもしろくない。ようやくの事で気にいった名ができた」と友人の迷惑はまるで忘れて、一人嬉しがったというが、小説中の人間の名前をつけるに、いちんちパリを探険しなくてはならぬようではずいぶん手数のかかる話だ。贅沢もこのくらいできれば結構なものだが吾輩のように牡蠣的主人を持つ身の上ではとてもそんな気は出ない。なんでもいい、食えさえすれば、という気になるのも境遇のしからしむるところであろう。だから今、雑煮が食いたくなったのも決して贅沢の結果ではない。なんでも食える時に食っておこうという考えから、主人の食いあました雑煮がもしや台所に残っていはすまいかと思い出したからである。……台所へまわってみる。


「二絃琴」
東(あずま)流 二弦琴の略称。
明治初期、藤舎蘆船(とうしゃろせん)が、江戸時代、文人のもてあそびものとされた八雲琴をを長唄風の弾き方に改良、家庭音楽として広めようとした。

「バルザック」
オノレ・ド・バルザック Honoré de Balzac (1799年5月20日-1850年8月18日)
フランスの小説家。


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《第二》 餅の魔


画/村上 豊

 今朝見たとおりの餅が、今朝見たとおりの色で椀の底に膠着(こうちゃく)している。白状するが餅というものは今までいっぺんも口に入れた事がない。見ると、うまそうにもあるし、また少しは気味がわるくもある。前足で上にかかっている菜っ葉をかき寄せる。爪を見ると餅の上皮が引っ掛かってねばねばする。嗅いでみると釜の底の飯をお櫃(おはち/飯びつ)へ移す時のようなにおいがする。
 食おうかな、やめようかな、とあたりを見まわす。幸か不幸か誰もいない。おさんは暮れも春も同じような顔をして羽根をついている。子供は奥座敷で「なんとおっしゃるウサギさん」を歌っている。食うとすれば今だ。もしこの機をはずすと、来年までは餅というものの味を知らずに暮らしてしまわねばならぬ。吾輩はこの刹那に猫ながらひとつの真理を感得した。

「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をもあえてせしむ」

 吾輩は実を言うとそんなに雑煮を食いたくはないのである。否、椀底の様子を熟視すればするほど気味が悪くなって、食うのがイヤになったのである。この時もし、おさんでも勝手口を開けたなら、奥の子供の足音がこちらへ近づくのを聞こえたなら、吾輩は惜し気もなく椀を見捨てたろう。しかも雑煮の事は来年まで念頭に浮かばなかったろう。
 ところが誰も来ない、いくら躊躇(ちゅうちょ)していても誰も来ない。早く食わぬか食わぬかと催促されるような心持ちがする。吾輩は椀の中をのぞきこみながら、早く誰か来てくれればいいと念じた。
 やはり誰も来てくれない。
 吾輩はとうとう雑煮を食わなければならぬ。最後にからだ全体の重量を椀の底へ落とすようにして、あぐりと餅の角を一寸(約3cm)ばかり食いこんだ。


※初出の「ホトトギス」では子供が“何とおっしゃるオサルさん”と歌っている。子供が歌詞をちがえて歌う場合もあるからあながち間違いともいえん。単行本化の際に修訂されているが、初出を重視した全集で“オサルさん”を使用しているものもある。(J・KOYAMA)
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