ブリューゲル 「絞首台の上のかささぎ」
「真に処刑として絞殺を用いましたのは、私の調べました結果によりますると、
『オデュッセイア』(ホメロスの叙事詩)の二十二巻目に出ております。すなわち、彼(か)のテレマコスがペネロペーの十二人の侍女を絞殺するというくだりでございます。ギリシア語で本文を朗読してもよろしゅうございますが、ちと衒う(てらう/
自分の学識を誇ってひけらかす)ような気味にもなりますからやめにいたします。四百六十五行から四百七十三行をご覧になるとわかります」
「ギリシア語云々(うんぬん)はよした方がいい、さもギリシア語ができますと言わんばかりだ。ねえ、苦沙弥君」
「それは僕も賛成だ、そんな物欲しそうな事は言わん方がおくゆかしくていい」と主人はいつになくただちに迷亭に加担する。両人はちっともギリシア語が読めないのである。
「それではこの二、三句は今晩抜く事にいたしまして次を弁じ――ええ、申し上げます。
この絞殺を今から想像してみますと、これを執行するに二つの方法があります。第一は、彼(か)のテレマコスがエウマイオス及びフィオイティオスの助けをかりて縄の一端を柱へくくりつけます。そしてその縄の所々へ結び目を穴に開けて、この穴へ女の頭を一つずつ入れておいて、片方の端をぐいと引っ張って吊るし上げたものとみるのです」
「つまり西洋洗濯屋のシャツのように女がぶら下がったと見ればいいんだろう」
「その通りで。それから第二は、縄の一端を前のごとく柱へくくりつけて、他の一端もはじめから天井へ高く吊るのです。そしてその高い縄から何本か別の縄を下げて、それに結び目の輪になったのをつけて女の首を入れておいて、いざという時に女の足台を取りはずす、という趣向なのです」
「たとえて言うと、縄暖簾(なわのれん)の先へ提灯玉を吊したような景色と思えば間違いはあるまい」
「提灯玉という玉は見た事がないからなんとも申されませんが、もしあるとすればその辺のところかと思います。――それでこれから、力学的に第一の場合はとうてい成立すべきものでないという事を証拠だててご覧にいれます」
「おもしろいな」と迷亭が言うと「うん。おもしろい」と主人も一致する。
「まず女が同距離に吊られると仮定します。また一番地面に近い二人の女の首と首を繋いでいる縄は、ホリゾンタル(horizontal/水平)と仮定します。そこで
α
1 α
2 …… α
6を、縄が地平線と形づくる角度とし、
T
1T
2 …… T
6を、縄の各部が受ける力と見なし、
T
7=X
は、縄のもっとも低い部分の受ける力とします。Wはもちろん女の体重とご承知下さい。どうです、おわかりになりましたか」
迷亭と主人は顔を見合わせて「たいていわかった」と言う。ただしこの『たいてい』という度合は両人が勝手に作ったのだから、他人の場合には応用ができないかもしれない。
「さて、多角形に関するご存じの平均性理論によりますと、下(しも)のごとく十二の方程式が立ちます。
T
1 cos α
1=T
2 cos α
2 ……1)
T
2 cos α
2=T
3 cos α
3 ……2)
……」
「方程式はそのくらいでたくさんだろう」と主人は乱暴な事を言う。
「実はこの式が演説の首脳なんですが」と寒月君は、はなはだ残り惜し気に見える。
「それじゃ首脳だけはおってうかがう事にしようじゃないか」と迷亭も少々恐縮の体(てい)に見受けられる。
「この式を略してしまうとせっかくの力学的研究がまるで駄目になるのですが……」
「なに、そんな遠慮はいらんから、ずんずん略すさ……」と主人は平気で言う。
「それでは仰せに従って、無理ですが略しましょう」
「それがよかろう」と迷亭が妙なところで手をぱちぱちと叩く。