「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第十》 いやーよ、ばぶ


画/吉崎正巳

 坊やちゃんもなかなか自信家だから容易に姉の言う事なんか聞きそうにしない。「いやーよ、ばぶ」と言いながら雑巾を引っ張り返した。この『ばぶ』なる語はいかなる意義でいかなる語源を有しているか、誰も知ってるものがない。ただこの坊やちゃんが癇癪(かんしゃく)を起こした時に折々ご使用になるばかりだ。雑巾はこの時、姉の手と坊やちゃんの手で左右に引っ張られるから、水を含んだ真ん中からぽたぽた雫が垂れて、容赦なく坊やの足にかかる。足だけなら我慢するが膝のあたりがしたたか濡れる。坊やはこれでも元禄(げんろく)を着ているのである。元禄とはなんの事だとだんだん聞いてみると、中形の模様ならなんでも元禄だそうだ。いったいだれに教わってきたものかわからない。
「坊やちゃん、元禄が濡れるからおよしなさい。ね」と姉がしゃれた事を言う。そのくせ、この姉はついこの間まで元禄と双六(すごろく)とを間違えていた物知りである。


「元禄」
「元禄袖」の着物の名称の意もあるが、ここでは「元禄模様」のこと。大柄で派手な衣服の模様。
日清戦争後、風俗が派手になっていくにつれて流行しはじめ、明治38年、三越が元禄おどりなどで宣伝、戦勝ムードの中で歓迎された。「何品にも係はらず元禄模様が非常に流行しつゝあり」(新聞『日本』)と報じられている。


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《第十》 火事で茸



 元禄で思い出したからついでにしゃべってしまうが、この子供の言葉違いをやる事はおびただしいもので、折々人を馬鹿にしたような間違いを言ってる。火事で茸(きのこ)が飛んで来たり、お茶の味噌の女学校へ行ったり、恵比寿(えびす)、台所と並べたり、ある時などは「わたしゃ藁店(わらだな)の子じゃないわ」と言うから、よくよく聞きただしてみると裏店(うらだな)と藁店を混同していたりする。主人はこんな間違いを聞くたびに笑っているが、自分が学校へ出て英語を教える時などは、これよりも滑稽な誤謬(ごびゅう)を真面目になって生徒に聞かせるのだろう。


「火事で茸が」
火事で飛んでくるのは「火の粉」

「お茶の味噌の女学校」
お茶の「水」の女学校

「恵比寿、台所」
「恵比寿、大黒」の間違い。
恵比寿も大黒もともに財福の神であり、民家では二体ならべて祀ることが多い。

「藁店」
藁を売る店、からきた地名といわれ、諸所にあった。和良店亭(わらだなてい)という寄席もあった。


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《第十》 坊ばの元どこ



 坊やは――当人は『坊や』とは言わない。いつでも『坊ば』と言う――元禄が濡れたのを見て「元どこべたい」と言って泣き出した。元禄が冷たくては大変だから、おさんが台所から飛び出して来て、雑巾を取り上げて着物を拭いてやる。この騒動中比較的静かであったのは次女のすん子嬢である。すん子嬢は向こうむきになって棚の上からころがり落ちたお白粉(おしろい)の瓶を開けて、しきりにお化粧を施している。第一に突っこんだ指をもって鼻の頭をキューと撫でたから縦に一本白い筋が通って、鼻のありかがいささか明らかになってきた。次に塗りつけた指を転じて頬の上を摩擦したから、そこへもってきてこれまた白いかたまりができあがった。これだけ装飾がととのったところへ、下女が入ってきて坊ばの着物を拭いたついでに、すん子の顔も拭いてしまった。すん子は少々不満の体(てい)に見えた。


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《第十》 まだ起きない


画/近藤浩一路

 吾輩はこの光景を横に見て、茶の間から主人の寝室まで来て、もう起きたかとひそかに様子をうかがってみると、主人の頭がどこにも見えない。その代わり、十文半(ともんはん/1文は約2.4cm )の甲の高い足が、夜具の裾から一本はみ出している。頭が出ていては起こされる時に迷惑だと思って、このようにもぐりこんだのであろう。亀の子のような男である。ところへ、書斎の掃除をしてしまった細君がまたホウキとハタキをかついでやってくる。最前のようにふすまの入口から、
「まだお起きにならないのですか」と声をかけたまましばらく立って、首の出ない夜具を見つめていた。今度も返事がない。細君は入口から二歩ばかり進んで、ホウキをとんと突きながら「まだなんですか、あなた」と重ねて返事を承わる。この時、主人はすでに目が覚めている。覚めているから、細君の襲撃にそなえるため、あらかじめ夜具の中に首もろとも立てこもったのである。首さえ出さなければ見逃してくれる事もあろうかと、つまらない事を頼みにして寝ていたところ、なかなか許しそうもない。しかし第一回の声は敷居の上で、少くとも一間(いっけん)の間隔があったからまず安心と腹のうちで思っていると、とんと突いたホウキがなんでも三尺くらいの距離に追っていたにはちょっと驚いた。のみならず第二の「まだなんですか、あなた」が、距離においても音量においても前よりも倍以上の勢いをもって夜具の中まで聞えたから、こいつは駄目だと覚悟をして小さな声で「うん」と返事をした。
「九時までにいらっしゃるのでしょう。早くなさらないと間に合いませんよ」
「そんなに言わなくても今起きる」と夜着の袖口から答えたのは奇観である。細君はいつでもこの手を食って、起きるかと思って安心しているとまた寝こまれつけているから、油断はできないと「さあ、お起きなさい」と責めたてる。起きると言うのになお起きろと責めるのは気に食わんものだ。主人のごときわがまま者にはなお気に食わん。ここにおいてか、主人は今まで頭からかぶっていた夜着を一度にはねのけた。見ると大きな目を二つとも開いている。
「なんだ、騒々しい。起きると言えば起きるのだ」
「起きるとおっしゃってもお起きなさらんじゃありませんか」
「誰がいつそんな嘘をついた」
「いつでもですわ」
「馬鹿を言え」
「どっちが馬鹿だかわかりゃしない」と細君、ぷんとしてホウキを突いて枕元に立っているところは勇ましかった。
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《第十》 八っちゃん泣き出す


映画(1936) より

 この時、裏の車屋の子供、八っちゃんが急に大きな声をしてワーッと泣き出す。八っちゃんは主人が怒り出しさえすれば必ず泣き出すべく、車屋のかみさんから命ぜられるのである。かみさんは主人が怒るたんびに八っちゃんを泣かして小遣いになるかもしれんが、八っちゃんこそいい迷惑だ。こんなお袋を持ったが最後、朝から晩まで泣き通しに泣いていなくてはならない。少しはこの辺の事情を察して主人も少々怒るのをさし控えてやったら八っちゃんの寿命が少しは延びるだろうに、いくら金田君から頼まれたってこんな愚な事をするのは、天道公平君よりもはげしくイカレていると鑑定してもよかろう。


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《第十》 八っちゃん泣き出す2


映画(1936) より

 怒るたんびに泣かせられるだけならまだ余裕もあるけれども、金田君が近所のゴロツキを雇って今戸焼きをきめこむたびに八っちゃんは泣かねばならんのである。主人が怒るか怒らぬかまだ判然しないうちから必ず怒るべきものと予想して、早手まわしに八っちゃんは泣いているのである。こうなると主人が八っちゃんだか、八っちゃんが主人だか判然しなくなる。主人にあてつけるに手数はかからない。ちょっと八っちゃんにけんつくを食わせればなんの苦もなく主人の横っツラを張った訳になる。昔、西洋で犯罪者を処刑にする時に、本人が国境外に逃亡して捕らえられん時は、偶像をつくって人間の代わりに火あぶりにしたと言うが、彼らのうちにも西洋の故事に通暁(つうぎょう)する軍師があるとみえて、うまい計略を授けたものである。落雲館といい、八っちゃんのお袋といい、腕のきかぬ主人にとってはさだめし苦手であろう。そのほか苦手はいろいろある。あるいは町内中ことごとく苦手かもしれんが、ただいまは関係がないから、だんだんなし崩しに紹介いたす事にする。


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《第十》 主人、ついに動く


映画(1936) より

 八っちゃんの泣き声を聞いた主人は、朝っぱらからよほど癇癪(かんしゃく)が起こったとみえて、たちまちガバッと布団の上に起き直った。こうなると精神修養も八木独仙も何もあったものじゃない。起き直りながら両方の手でゴシゴシゴシと表皮のむけるほど頭中引っかきまわす。一ヵ月も溜まっているフケは遠慮なく首筋やら寝巻の襟へ飛んでくる。非常な壮観である。ヒゲはどうだと見ると、これはまた驚くべくピン然とおっ立っている。持ち主が怒っているのにヒゲだけ落ちついていてはすまないとでも心得たものか、一本一本に癇癪(かんしゃく)を起こして、勝手次第の方角へ猛烈なる勢いをもって突進している。これとてもなかなかの見物である。昨日は鏡の手前もある事だから、おとなしくドイツ皇帝陛下の真似をして整列したのであるが、一晩寝れば訓練も何もあったものではない、ただちに本来の面目に帰って思い思いのいでたちに戻るのである。あたかも主人の一夜作りの精神修養が、あくる日になると拭うがごとくきれいに消え去って、生まれついての野猪的(やちょてき/イノシシ的)本領がただちに全面を暴露し来たるのと一般(いっしょ)である。こんな乱暴なヒゲをもっているこんな乱暴な男が、よくまあ今まで免職にもならずに教師が勤まったものだと思うと、初めて日本の広い事がわかる。広ければこそ金田君や金田君の犬が人間として通用しているのでもあろう。彼らが人間として通用する間は主人も免職になる理由がないと確信しているらしい。いざとなれば巣鴨へハガキを飛ばして天道公平君に聞き合わせてみれば、すぐわかる事だ。


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《第十》 袋戸のはらわた



 この時主人は、昨日紹介した混沌たる太古の目を精一杯に見張って、向こうの戸棚をきっと見た。これは高さ一間(いっけん)を横に仕切って、上下ともおのおの二枚の袋戸(袋だなのふすま戸)をはめたものである。下の方の戸棚は、布団の裾とすれすれの距離にあるから、起き直った主人が目を開きさえすれば、天然自然ここに視線がむくようにできている。見ると、模様を置いたふすま紙がところどころ破れて妙なはらわたがあからさまに見える。はらわたにはいろいろなのがある。あるものは活版刷りで、あるものは肉筆である。あるものは裏返しで、あるものは逆さまである。主人はこのはらわたを見ると同時に、何が書いてあるか読みたくなった。今までは車屋のかみさんでも捕まえて、鼻づらを松の木へこすりつけてやろうくらいにまで怒っていた主人が、突然この反古紙(ほごがみ)を読んでみたくなるのは不思議のようであるが、こういう陽性の癇癪持ちには珍しくない事だ。子供が泣くときに最中(もなか)の一つもあてがえばすぐ笑うと一緒である。主人が昔、さる所のお寺に下宿していた時、ふすま一枚を隔てて尼が五、六人いた。尼などというものは元来意地の悪い女のうちでもっとも意地の悪いものであるが、この尼が主人の性質を見抜いたものとみえて、自炊の鍋をたたきながら「今泣いたカラスがもう笑った、今泣いたカラスがもう笑った」と拍子を取って歌ったそうだ。主人が尼が大嫌いになったのはこの時からだというが、尼は嫌いにせよ、まったくそれに違いない。主人は泣いたり、笑ったり、嬉しがったり、悲しがったり、人一倍もする代わりにいずれも長く続いた事がない。よく言えば執着がなくて心機がむやみに転ずるのだろうが、これを俗語に翻訳してやさしく言えば、奥行きのない、薄っぺらの、鼻っ張りだけ強いだだっ子である。すでにだだっ子である以上は、喧嘩をする勢いでむっくとはね起きた主人が、急に気をかえて袋戸のはらわたを読みにかかるのももっともと言わねばなるまい。


「妙なはらわたがあからさまに見える」
ふすまというのは、上張りのふすま紙を下から保護し、表面の質感をふっくらと仕上げるために、何層もの和紙の下張りがされており、その下張りには反古紙(ほごがみ)、細川紙など、丈夫な手漉き和紙が使われる。(反古紙とは昔の和本や書類など、使用済みの和紙)
そういった下張り紙を貼り重ねた上でやっと、きれいなふすま紙を貼って完成するわけで、ここでは、ふすま紙が破れたところから見える中の反古紙の層を、腸(はらわた)と形容している。


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《第十》 袋戸のはらわた2



 第一に目にとまったのが伊藤博文の逆立ちである。上を見ると明治十一年九月二十八日とある。韓国統監もこの時代からお布令(おふれ)のしっぽを追っかけて歩いていたとみえる。大将、この時分は何をしていたんだろうと読めそうにないところを無理に読むと、『大蔵卿』とある。なるほど、えらいものだ。いくら逆立ちしても大蔵卿である。
 少し左の方を見ると今度は大蔵卿、横になって昼寝をしている。もっともだ。逆立ちではそう長く続く気遣いはない。
 下の方に大きな木板で、『汝は』と二字だけ見える、あとが見たいがあいにく露出しておらん。次の行には『早く』の二字だけ出ている。こいつも読みたいがそれきりで手がかりがない。もし主人が警視庁の探偵であったら、人のものでも構わずに引っぺがすかもしれない。探偵というものには高等な教育を受けた者がないから事実を挙げるためにはなんでもする。あれは始末にゆかないものだ。願わくばもう少し遠慮をしてもらいたい。遠慮をしなければ事実は決して挙げさせない事にしたらよかろう。聞くところによると彼らは羅織虚構(らしききょこう/『羅織』は罪のない者を陥れること。『虚構』は事実にないことをでっちあげること)をもって良民を罪に陥れる事さえあるそうだ。良民が金を出して雇っておく者が、雇い主を罪にするなどときては、これまた立派な気違いである。


「逆立ち」
反古紙がさかさまに貼ってあるから。

「韓国統監」
明治38年から43年まで(1905-1910)、日本がその保護国であった韓国の京城に設置して、政務を統轄させた総監府の長官。伊藤博文は、1906年3月3日に就任している。つまりここでは、韓国総監=伊藤博文のこと。


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《第十》 袋戸のはらわた3



 次に目を転じて真ん中を見ると、真ん中には大分県が宙返りをしている。伊藤博文でさえ逆立ちをするくらいだから、大分県が宙返りをするのは当然である。


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