「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第拾一》 新体詩は俳句と違う


画/岩崎年勝

 東風君は真面目で「新体詩は俳句と違ってそう急にはできません。しかし、できた暁にはもう少し生霊(せいれい)の機微(きび)に触れた妙音が出ます」
「そうかね、生霊(しょうりょう/精霊)はおがらを焚(た)いて迎え奉るものと思ってたが、やっぱり新体詩の力でも御来臨(ごらいりん)になるかい」と迷亭はまだ碁をそっちのけにしてからかっている。

「おがらを焚(た)いて迎え奉るもの」
「おがら」は麻幹。麻の皮をはいだ茎。盂蘭盆(うらぼん)に門前でこれを焚いて、死者の霊を送り迎えする風習がある。


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《第拾一》 釜中の章魚(タコ)



「そんな無駄口を叩くとまた負けるぜ」と主人は迷亭に注意する。迷亭は平気なもので
「勝ちたくても、負けたくても、相手が釜中(ふちゅう)のタコ同然手も足も出せないのだから、僕も無聊(ぶりょう/退屈)でやむを得ずヴァイオリンのお仲間をつかまつるのさ」と言うと、相手の独仙君はいささか激した調子で、「今度は君の番だよ。こっちで待ってるんだ」と言い放った。
「え? もう打ったのかい」
「打ったとも、とうに打ったさ」
「どこへ」
「この白をはす(ななめ。はすかい)に延ばした」
「なあるほど。この白をはすに延ばして負けにけりか。そんならこっちはと――こっちは――こっちはこっちはとて暮れにけりと、どうもいい手がないね。君、もう一ぺん打たしてやるから勝手なところへ一目(いちもく)打ちたまえ」
「そんな碁があるものか」


「釜中のタコ」
本来は「釜中の魚(うお)」。
《「資治通鑑」漢紀から》まもなく煮られようとしている釜の中の魚。死が迫っていることをいう語。魚(うお)の釜中に遊ぶが如し。
生存久しくないたとえに使う「釜中の魚」という熟語を、足のあるタコで言い換えて「手も足も出せない」と続けた。

「こっちはこっちはとて暮れにけり」
加賀千代女の作という「時鳥(ホトトギス) 時鳥とて 明けにけり」をもじったもの。


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《第拾一》 イタリアから古物を


ストラディバリウス ハンマー(ハンメル)モデル


「そんな碁があるものかなら打ちましょう。――それじゃこのかど地面へちょっと曲がって置くかな。――寒月君、君のヴァイオリンはあんまり安いからネズミが馬鹿にしてかじるんだよ、もう少しいいのを奮発して買うさ。僕がイタリアから三百年前の古物を取り寄せてやろうか」
「どうか願います。ついでにお払いの方も願いたいもので」
「そんな古いものが役に立つものか」と、なんにも知らない主人は一喝にして迷亭君をきめつけた。
「君は人間の古物とヴァイオリンの古物と同一視しているんだろう。人間の古物でも金田某のごときものは今だに流行しているくらいだから、ヴァイオリンに至っては古いほどがいいのさ。――さあ、独仙君、どうかお早く願おう。けいまさのせりふじゃないが秋の日は暮れやすいからね」


「イタリアから三百年前の古物を」
ヴァイオリンは16世紀に初めて製作されたが、初期のヴァイオリン製作者であったイタリアのストラディバリやグァルネリ(正確にはグァルネリ一族等が製作したヴァイオリンは、現在でもヴァイオリニストや収集家の垂涎の的となっている。
製作時に最高級の材料を使い、最高の精度で作られたうえに、木材の経年変化による音響変化で最高の音色になっているといわれる。

ちなみに、2006年5月に、クリスティーズでオークションにかけられたストラディバリウス・"Hammer" (ハンメル)(19世紀のスウェーデン人の収集家・Christian Hammer にちなんだ命名)は、354万ドル(約3億9000万円)で落札された。

最上のものとされる三大ストラディバリウスは、"Dolphin"(ドルフィン/1714年製作)、"Alard"(アラード/1715年製作/シンガポールの個人収集家が所有)、"Messiah"(メサイア/1716年製作/英オックスフォードのアシュモリアン美術館蔵)。ドルフィンは、ヴァイオリニストの諏訪内晶子さんが日本音楽財団から貸与されて使用中。(所有者情報はコチラから。アラードについてはコチラ
このあたり興味を覚えた方は、諏訪内晶子さんの「ヴァイオリンと翔る」(NHKライブラリー)をぜひご一読ください。おもしろいです。


【注記】「ストラディバリウス」
イタリア人の名前は当時、「ストラディバリウス (Stradivarius)」とラテン語表記されるのが一般的で、ストラディバリ製作の弦楽器には、“Antonius Stradivarius Cremonenfis”というラベルが貼られている。それゆえ、ストラディバリ製作のヴァイオリンは「ストラディバリウス」と呼ばれる。

【参考リンク】
日本音楽財団の所有楽器一覧貸与者一覧


「けいまさのせりふ」
歌舞伎「恋女房染分手綱」(こいにょうぼう そめわけたずな)孝行の段に座頭・慶政(けいまさ)が「暮れましたか、秋の日は短いな。ドリャそろそろと寝ごしらへ」というセリフがある。


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《第拾一》 鎌倉で万年漬


圓覚寺山門。独仙に感化された理野陶然が万年漬や麦飯を食い過ぎたのはここの僧堂。彼は後日腹膜炎で死んでしまった(第九章参照)。

「君のようなせわしない男と碁を打つのは苦痛だよ。考える暇も何もありゃしない。しかたがないから、ここへ一目(いちもく)入れて目にしておこう」
「おやおや、とうとう生かしてしまった。惜しい事をしたね。まさかそこへは打つまいと思って、いささか駄弁をふるって肝胆(かんたん)を砕いて(懸命に物事を行う。心を尽くす)いたが、やッぱり駄目か」
「当たり前さ。君のは打つのじゃない。ごまかすのだ」
「それが本因坊流、金田流、当世紳士流さ。――おい、苦沙弥先生、さすがに独仙君は鎌倉へ行って万年漬けを食っただけあって、物に動じないね。どうも敬々服々だ。碁はまずいが、度胸はすわってる」
「だから君のような度胸のない男は、少し真似をするがいい」と主人が後ろ向きのままで答えるやいなや、迷亭君は大きな赤い舌をぺろりと出した。独仙君はちっとも関せざるもののごとく「さあ、君の番だ」と、また相手を促した。


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《第拾一》 ヴァイオリンはいつから



「君はヴァイオリンをいつ頃から始めたのかい。僕も少し習おうと思うのだが、よっぽどむずかしいものだそうだね」と東風君が寒月君に聞いている。
「うむ、ひと通りなら誰にでもできるさ」
「同じ芸術だから詩歌(しいか)の趣味のあるものは、やはり音楽の方でも上達が早いだろうと、ひそかに恃(たの)むところがあるんだが、どうだろう」
「いいだろう。君ならきっと上手になるよ」
「君はいつ頃から始めたのかね」
「高等学校時代さ。――先生、私のヴァイオリンを習い出した顛末(てんまつ)をお話しした事がありましたかね」
「いいえ、まだ聞かない」
「高等学校時代に先生でもあってやり出したのかい」
「なあに、先生も何もありゃしない。独習さ」
「まったく天才だね」
「独習なら天才と限った事もなかろう」と寒月君はつんとする。天才と言われてつんとするのは寒月君だけだろう。
「そりゃどうでもいいが、どういう風に独習したのかちょっと聞かしたまえ。参考にしたいから」
「話してもいい。先生、話しましょうかね」
「ああ、話したまえ」


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《第拾一》 田舎で裸足で



「今では若い人がヴァイオリンの箱をさげてよく往来などを歩いておりますが、その時分は高等学校生で西洋の音楽などをやった者はほとんどなかったのです。ことに私のおった学校は田舎の田舎で麻裏草履(あさうらぞうり)さえないと言うくらいな質朴な所でしたから、学校の生徒でヴァイオリンなどを弾くものはもちろん一人もありません。……」
【注記】寒月のモデルの寺田寅彦は第五高等学校(新制 熊本大学の前身となった旧制高等学校)出身。寺田が学生だった当時は漱石も赴任しており、教え子だった。
「なんだかおもしろい話が向こうで始まったようだ。独仙君、いい加減に切り上げようじゃないか」
「まだ片づかない所が二、三ケ所ある」
「あってもいい。たいがいな所なら君に進上する」
「そう言ったって、もらう訳にもいかない」
「禅学者にも似合わん几帳面な男だ。それじゃ一気呵成(いっきかせい)にやっちまおう。――寒月君、なんだかよっぽどおもしろそうだね。――あの高等学校だろう、生徒がはだしで登校するのは……」
「そんな事はありません」
「でも、みんなはだしで兵式体操学校教育に導入された、後の軍事教練にあたる教科)の体操をして、まわれ右をやるんで足の皮が大変厚くなってるという話だぜ」
「まさか。だれがそんな事を言いました」
「だれでもいいよ。そうして弁当には偉大なる握り飯を一個、夏みかんのように腰へぶら下げて来て、それを食うんだって言うじゃないか。食うというよりむしろ食いつくんだね。すると中心から梅干が一個出て来るそうだ。この梅干が出るのを楽しみに、塩気のない周囲を一心不乱に食い欠いて突進するんだというが、なるほど元気旺盛なものだね。独仙君、君の気に入りそうな話だぜ」
「質朴剛健でたのもしい気風だ」


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《第拾一》 灰吹きなどは



「まだたのもしい事がある。あすこには灰吹き(はいふき/タバコ盆についている、タバコの吸い殻を吹き落とすための竹筒)がないそうだ。僕の友人があすこへ奉職をしている頃、吐月峯(とげつほう/静岡市にある山の名。連歌師・宗長が、ここの竹林の竹で灰吹きを作り、吐月峯と名づけたところから、そこの竹で作った灰吹きの銘となる)の印のある灰吹きを買いに出たところが、吐月峰どころか、灰吹きと名づくべきものが一個もない。不思議に思って聞いてみたら、灰吹きなどは裏の藪へ行って切ってくれば誰にでもできるから売る必要はないとすまして答えたそうだ。これも質朴剛健の気風をあらわす美譚(びだん/「譚」は、「話」「物語」の意)だろう。ねえ、独仙君」


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《第拾一》 白黒丹念に



「うむ、そりゃそれでいいが、ここへ駄目(囲碁用語/両者の境にあってどちらの所有にもならない目)を一つ入れなくちゃいけない」
「よろしい。駄目、駄目、駄目と。それで片づいた。――僕はその話を聞いて、実に驚いたね。そんなところで君がヴァイオリンを独習したのは見上げたものだ。〓独【〓は「悸」の「禾」の代わりに「旬」】(けいどく/孤独で身寄りのないこと)にして不群(仲間や身内のないこと)なりと楚辞にあるが、寒月君はまったく明治の屈原(くつげん)だよ」
「屈原はいやですよ」
「それじゃ、今世紀のウェルテルさ。――なに、石を上げて勘定をしろ? やに物堅(ものがた)い性質(たち)だね。勘定しなくっても僕は負けてるからたしかだ」
「しかしきまりがつかないから……」
「それじゃ、君やってくれたまえ。僕は勘定所じゃない。一代の才人ウェルテル君がヴァイオリンを習い出した逸話を聞かなくっちゃ、先祖へ済まないから失敬する」と席をはずして、寒月君の方へすり出して来た。
 独仙君は丹念に白石を取っては白の穴を埋め、黒石を取っては黒の穴を埋めて、しきりに口の内で計算をしている。寒月君は話をつづける。


「〓独にして不群なり」
天性のすぐれて孤独であること。
【楚辞】九『抽志』に「既に〓独にして群せず」とある。
【〓は「悸」の「禾」の代わりに「旬」】

「屈原」
(前343頃 - 前277頃)戦国時代の楚の王族に生まれ、官につき懐王・襄王をたすけたが、讒言(ざんげん/事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと)にあって追放され、石をふところに抱き今の湖南の汨羅(べきら)の淵に身を投じ、不遇な生涯を閉じた。

「ウェルテル」
ゲーテの書簡体小説『若きヴェルテルの悩み』の主人公。人妻に失恋し、破れた後に自殺する主人公の煩悶や憂愁に満ちた心情が描かれる。


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《第拾一》 女も黒い



「土地柄がすでに土地柄だのに、私の国の者がまた非常に頑固なので、少しでも柔弱なものがおっては他県の生徒に外聞が悪いと言って、むやみに制裁を厳重にしましたからずいぶん厄介でした」
「君の国の書生ときたら、本当に話せないね。元来、なんだって紺の無地の袴なんぞはくんだい。第一、あれからして乙だね。そうして塩風に吹かれつけているせいか、どうも色が黒いね。男だからあれで済むが、女があれじゃさぞかし困るだろう」と迷亭君が一人入ると肝心の話はどっかへ飛んで行ってしまう。
「女もあの通り黒いのです」
「それでよくもらい手があるね」
「だって一国中ことごとく黒いのだからしかたがありません」
「因果(いんが)だね。ねえ、苦沙弥君」
「黒い方がいいだろう。なまじ白いと鏡を見るたんびにうぬぼれが出ていけない。女というものは始末におえない物件だからなあ」と主人は喟然(きぜん/ため息をつくさま)として大息(たいそく)をもらした。


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《第拾一》 細君難


画/東郷青児

「だって一国中ことごとく黒ければ、黒い方でうぬぼれはしませんか」と東風君がもっともな質問をかけた。
「ともかくも女は全然不必要なものだ」と主人が言うと、
「そんな事を言うと細君が後でご機嫌が悪いぜ」と笑いながら迷亭先生が注意する。
「なに、大丈夫だ」
「いないのかい」
「子供を連れて、さっき出掛けた」
「どうりで静かだと思った。どこへ行ったのだい」
「どこだかわからない。勝手に出て歩くのだ」
「そうして勝手に帰ってくるのかい」
「まあそうだ。君は独身でいいなあ」と言うと、東風君は少々不平な顔をする。寒月君はにやにやと笑う。迷亭君は、「妻を持つとみんなそういう気になるのさ。ねえ、独仙君。君なども細君難の方だろう」
「ええ? ちょっと待った。四六二十四、二十五、二十六、二十七と。狭いと思ったら、四十六目あるか。もう少し勝ったつもりだったが、こしらえてみるとたった十八目の差か。――なんだって?」
「君も細君難だろうと言うのさ」
「アハハハハ。別段難でもないさ。僕の妻は元来僕を愛しているのだから」
「そいつは少々失敬した。それでこそ独仙君だ」
「独仙君ばかりじゃありません。そんな例はいくらでもありますよ」と寒月君が天下の細君に代わってちょっと弁護の労を取った。
「僕も寒月君に賛成する。僕の考えでは人間が絶対の域に入るには、ただ二つの道があるばかりで、その二つの道とは芸術と恋だ。夫婦の愛はその一つを代表するものだから、人間はぜひ結婚をしてこの幸福を完(まっと)うしなければ天意に背く訳だと思うんだ。――が、どうでしょう先生」と東風君はあいかわらず真面目で迷亭君の方へ向き直った。
「ご名論だ。僕などはとうてい絶対の境に入れそうもない」
「妻をもらえばなお入れやしない」と主人はむずかしい顔をして言った。
「ともかくも我々未婚の青年は芸術の霊気にふれて向上の一路を開拓しなければ人生の意義がわからないですから、まず手始めにヴァイオリンでも習おうと思って寒月君にさっきから経験譚(けいけんだん)を聞いているのです」


※漱石は“妻君”と表記しています。(J・KOYAMA)
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