「吾輩は猫である」

  挿画でつづる漱石の猫 I AM A CAT illustrated
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《第二》 餅の魔2


画/下高原千歳

 このくらい力をこめて食いついたのだから、たいていなものなら噛み切れるわけだが、驚いた! もうよかろうと思って歯を引こうとすると引けない。もういっぺん噛みなおそうとすると動きがとれない。餅は魔物だなと感づいた時はすでに遅かった。沼へでも落ちた人が足を抜こうとあせるたびにぶくぶく深く沈むように、噛めば噛むほど口が重くなる、歯が動かなくなる。歯ごたえはあるが、歯ごたえがあるだけでどうしても始末をつける事ができない。美学者・迷亭先生がかつて吾輩の主人を評して「君は割り切れない男だ」と言った事があるが、なるほど、うまい事を言ったものだ。この餅も主人と同じようにどうしても割り切れない。噛んでも噛んでも、三で十を割るごとく尽未来際(じんみらいざい/未来永劫)カタのつく時はあるまいと思われた。この煩悶(はんもん)の際、吾輩は覚えず第二の真理に逢着(ほうちゃく/行き当たる)した。

「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」


「尽未来際」(じんみらいざい)
仏教用語。未来の果てに至るまで。未来永劫(えいごう)。永遠。



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《第二》 餅の魔3


画/柳井愛子

 真理はすでに二つまで発明したが、餅がくっついているのでちっとも愉快を感じない。歯が餅の肉に吸収されて、抜けるように痛い。早く食い切って逃げないとおさんが来る。子供の唱歌もやんだようだ、きっと台所へ馳け出して来るに相違ない。煩悶の極、しっぽをぐるぐる振ってみたがなんらの功能もない、耳を立てたり寝かしたりしたが駄目である。考えてみると耳としっぽは餅となんらの関係もない。要するに振り損の、立て損の、寝かし損であると気がついたからやめにした。ようやくの事、これは前足の助けを借りて餅を払い落とすに限ると考えついた。まず右の方をあげて口の周囲を撫でまわす。撫でたくらいで割り切れる訳のものではない。今度は左の方を伸ばして口を中心として急激に円をかくようにしてみる。そんな呪(まじな)いで魔は落ちない。しんぼうが肝心だと思って左右かわるがわるに動かしたが、やはり依然として歯は餅の中にぶら下っている。ええ、面倒だと両足を一度に使う。すると不思議な事にこの時だけは後足二本で立つ事ができた。なんだか猫でないような感じがする。猫であろうがあるまいがこうなった日にゃあ構うものか、なんでも餅の魔が落ちるまでやるべしという意気ごみで無茶苦茶に顔中ひっかきまわす。前足の運動が猛烈なのでややともすると中心を失って倒れかかる。倒れかかるたびに後足で調子をとらなくてはならぬから、一つ所にいる訳にもいかんので、台所中あちらこちらと飛んでまわる。我ながらよくこんなに器用に立っていられたものだと思う。第三の真理が驀地(ばくち/急激に)に現前する。

「危きに臨(のぞ)めば平常なし能(あた)わざるところのものをなし能う。これを天祐(てんゆう/天のたすけ)と言う」(危機に遭遇すれば、平常できないこともできる。これを天のたすけと言う)

 幸いに天祐を享(う)けたる吾輩が一生懸命餅の魔と戦っていると、なんだか足音がして奥より人が来るような気配である。ここで人に来られては大変だと思って、いよいよ躍起となって台所をかけまわる。足音はだんだん近づいてくる。ああ残念だが天祐が少し足りない。とうとう子供に見つけられた。
「あら、猫がお雑煮を食べて踊りを踊っている」と大きな声をする。この声を第一に聞きつけたのがおさんである。羽根も羽子板も打ちやって勝手から「あらまあ」と飛びこんで来る。細君は縮緬(ちりめん)の紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられる。主人さえ書斎から出て来て「この馬鹿野郎」と言った。おもしろいおもしろいと言うのは子供ばかりである。そうしてみんな申し合わせたようにげらげら笑っている。
 腹は立つ、苦しくはある、踊りはやめる訳にゆかぬ、弱った。ようやく笑いがやみそうになったら、五つになる女の子が「お母様、猫もずいぶんね」と言ったので狂瀾(きょうらん)を既倒(きとう)になんとかするという勢いでまた大変笑われた。人間の同情に乏しい実行もだいぶ見聞きしたが、この時ほど恨めしく感じた事はなかった。ついに天祐もどっかへ消え失せて、在来の通り四つんばいになって、目を白黒するの醜態を演ずるまでに閉口した。さすが見殺しにするのも気の毒とみえて「まあ、餅をとってやれ」と主人がおさんに命ずる。おさんはもっと踊らせようじゃありませんかという目つきで細君を見る。細君は踊りは見たいが、殺してまで見る気はないのでだまっている。「取ってやらんと死んでしまう、早くとってやれ」と主人は再び下女を顧(かえり)みる。おさんは御馳走を半分食べかけて夢から起こされた時のように、気のない顔をして餅をつかんでぐいと引く。寒月君じゃないが前歯がみんな折れるかと思った。どうも痛いの痛くないのって、餅の中へ堅く食いこんでいる歯を情け容赦もなく引っ張るのだからたまらない。
 吾輩が、

「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」

という第四の真理を経験して、けろけろとあたりを見回した時には、家人はすでに奥座敷へ入ってしまっておった。


狂瀾を既倒になんとかする
「狂瀾を既倒に廻(めぐ)らす」の事。
崩れかけた大波を、もと来た方へ押し返す。形勢がすっかり悪くなったのを、再びもとに返すたとえ。回瀾(かいらん)を既倒に反(かえ)す。《韓愈「進学解」から》


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《第二》 あら先生



 こんな失敗をした時にはうちにいて、おさんなんぞに顔を見られるのもなんとなくばつが悪い。いっその事、気をかえて新道の二絃琴のお師匠さんのとこの三毛子でも訪問しようと台所から裏へ出た。
 三毛子はこの近辺で有名な美貌家である。吾輩は猫には相違ないが物の情けは一通り心得ている。うちで主人の苦い顔を見たり、おさんのけんつく(荒々しく邪険にしかりつけること)を食って気分がすぐれん時は必ずこの異性の朋友(ほうゆう)のもとを訪問していろいろな話をする。すると、いつの間にか心がせいせいして今までの心配も苦労もなにもかも忘れて、生まれ変わったような心持ちになる。女性の影響というものは実に莫大なものだ。
 杉垣の隙から、いるかなと思って見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく縁側に座っている。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。曲線の美を尽くしている。しっぽの曲がり加減、足の折り具合、物憂げに耳をちょいちょい振る様子なども、とうてい形容ができん。ことに、よく日の当たる所に暖かそうに、品よく控えているものだから、身体は静粛端正の態度を有するにも関わらず、ビロードを欺くほどのなめらかな満身の毛は春の光を反射して、風なきにむらむらと微動するごとくに思われる。吾輩はしばらくうっとりとしてながめていたが、やがて我に帰ると同時に低い声で「三毛子さん、三毛子さん」と言いながら前足で招いた。三毛子は「あら、先生」と縁を下りる。赤い首輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴る。おや正月になったら鈴までつけたな、どうもいい音(ね)だと感心している間に、吾輩のそばに来て「あら、先生。おめでとう」と尾を左へ振る。



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《第二》 無邪気な三毛子


映画(1975) より

 我ら猫属の間でお互い挨拶をするときには、尾を棒のごとく立てて、それを左へぐるりとまわすのである。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのはこの三毛子ばかりである。吾輩は前回断わった通りまだ名はないのであるが、教師のうちにいるものだから三毛子だけは尊敬して先生先生と言ってくれる。吾輩も先生と言われててまんざら悪い心持ちもしないから、はいはいと返事をしている。
「やあ、おめでとう。たいそう立派にお化粧ができましたね」
「ええ。去年の暮れ、お師匠さんに買っていただいたの、いいでしょう」と、ちゃらちゃら鳴らしてみせる。
「なるほど、いい音(ね)ですな。吾輩などは生まれてから、そんな立派なものは見た事がないですよ」
「あら、いやだ。みんなぶら下げるのよ」と、またちゃらちゃら鳴らす。「いい音(ね)でしょう、あたし嬉しいわ」と、ちゃらちゃらちゃらちゃら続けざまに鳴らす。
「あなたのうちのお師匠さんは大変あなたをかわいがっているとみえますね」と我が身に引きくらべて暗(あん)に欣羨(きんせん/非常にうらやましがること)の意をもらす。
 三毛子は無邪気なものである。「ほんとよ、まるで自分の子供のようよ」と、あどけなく笑う。
 猫だって笑わないとは限らない。人間は自分よりほかに笑えるものが無いように思っているのは間違いである。吾輩が笑うのは鼻のあなを三角にしてのど仏を震動させて笑うのだから人間にはわからぬはずである。



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《第二》 天璋院様の


画/丹羽和子

「いったい、あなたのとこのご主人はなんですか」
「あら『ご主人』だって、妙なのね。『お師匠さん』だわ。二絃琴のお師匠さんよ」
「それは吾輩も知っていますがね。その、ご身分はなんなんです。いずれ昔は立派な方なんでしょうな」
「ええ」

君を待つ間の姫小松……………

 障子のうちでお師匠さんが二絃琴を弾きだす。
「いい声でしょう」と三毛子は自慢する。
「いいようだが、吾輩にはよくわからん。全体なんというものですか」
「あれ? あれはなんとかってものよ。お師匠さんはあれが大好きなの。……お師匠さんはあれで六十二よ。ずいぶん丈夫だわね」
 六十二で生きているくらいだから丈夫と言わねばなるまい。吾輩は「はあ」と返事をした。少し間が抜けたようだが別に名答も出て来なかったからしかたがない。
「あれでも、もとは身分が大変よかったんだって。いつでもそうおっしゃるの」
「へえ。元はなんだったんです」
「なんでも天璋院(てんしょういん)様のご祐筆(ゆうひつ/武家の職名。文書・記録の作成をつかさどった)の妹のお嫁に行った先のおっかさんの甥の娘なんだって」
「なんですって?」
「あの天璋院様のご祐筆の妹のお嫁に行った……」
「なるほど。少し待って下さい。天璋院様の妹のご祐筆の……」
「あらそうじゃないの、天璋院様のご祐筆の妹の……」
「よろしい、わかりました。天璋院様のでしょう」
「ええ」
「ご祐筆のでしょう」
「そうよ」
「お嫁に行った」
「妹のお嫁に行った、ですよ」
「そうそう間違った。妹のお嫁に行った先の」
「おっかさんの甥の娘なんですとさ」
「おっかさんの甥の娘なんですか」
「ええ。わかったでしょう」
「いいえ。なんだか混雑して要領を得ないですよ。つまるところ天璋院様のなんになるんですか」
「あなたもよっぽどわからないのね。だから天璋院様のご祐筆の妹のお嫁に行った先のおっかさんの甥の娘なんだって、さっきから言ってるんじゃありませんか」
「それはすっかりわかっているんですがね」
「それがわかりさえすればいいんでしょう」
「ええ」と、しかたがないから降参をした。我々は時とすると理詰めのうそをつかねばならぬ事がある。


天璋院(てんしょういん)
島津斉彬の娘・敬子。安政3年(1856)十三代将軍家定に嫁し、同5年その死とともに仏門に入り天璋院といった。



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《第二》 お師匠さんのお呼び


映画(1975) より

 障子のうちで二絃琴の音(ね)がぱったりやむと、お師匠さんの声で「三毛や、三毛や、ごはんだよ」と呼ぶ。
 三毛子は嬉しそうに「あら、お師匠さんが呼んでいらっしゃるから、あたし帰るわ、よくって?」わるいと言ったってしかたがない。「それじゃまた遊びにいらっしゃい」と鈴をちゃらちゃら鳴らして庭先までかけていったが、急に戻ってきて「あなた大変色が悪くってよ。どうかしやしなくって」と心配そうに問いかける。
 まさか雑煮を食って踊りを踊ったとも言われないから「なに、別段の事もありませんが、少し考え事をしたら頭痛がしてね。あなたと話でもしたら治るだろうと思って実は出かけて来たのですよ」
「そう。お大事になさいまし。さようなら」少しは名残り惜し気に見えた。



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《第二》 正月野郎


画/下高原千歳

 これで雑煮の元気もさっぱりと回復した。いい心持ちになった。帰りに例の茶園を通り抜けようと思って霜柱(しもばしら)のとけかかったのを踏みつけながら建仁寺垣(けんにんじがき/竹垣の一種)の崩れから顔を出すと、また車屋の黒が枯菊の上に背を山にしてあくびをしている。近頃は黒を見て恐怖するような吾輩ではないが、話をされると面倒だから知らぬ顔をして行き過ぎようとした。黒の性質として、ひとが己を軽侮したと認むるや否や決して黙っていない。
「おい、名なしの権兵衛、近頃じゃ妙にお高くとまってるじゃあねえか。いくら教師のメシを食ったって、そんな高慢ちきなツラあするねえ。人つけおもしろくもねえ」
 黒は吾輩の有名になったのをまだ知らんとみえる。説明してやりたいが、とうていわかる奴ではないから、まず一応の挨拶をしてできうる限り早くごめんこうむるにしくはないと決心した。
「いや、黒君おめでとう。あいかわらず元気がいいね」としっぽを立てて左へくるりとまわす。黒はしっぽを立てたぎり挨拶もしない。
「なに、おめでてえ? 正月でおめでたけりゃ、おめえなんざあ年がら年中おめでてえ方だろう。気をつけろい、このふいごの向こうヅラめ
 『ふいごの向こうヅラ』という句は罵詈(ばり)の言語であるようだが、吾輩には了解ができなかった。
「ちょっとうかがうが『ふいごの向うヅラ』というのはどういう意味かね」
「へん、てめえが悪態をつかれてるくせに、そのわけを聞きゃ世話あねえ。だから正月野郎だって事よ」
 正月野郎は詩的であるが、その意味に至るとふいごのなんとかよりも一層不明瞭な文句である。参考のためちょっと聞いておきたいが、聞いたって明瞭な答弁は得られぬにきまっているから、面とむかったまま無言で立っておった。


「人つけ」
「人をつけにする」(人を馬鹿にする)を略した江戸語

「ふいごの向こうヅラ」
鞴(ふいご)の向こう側にある空気穴に空気の入る音が、息を切らして呼吸するさまに似ていることから、青息吐息の状態をののしっていう言葉。

「正月野郎」
おめでたい奴。



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《第二》 車屋の神さんの声


映画(1975) より

 いささか手持ち無沙汰の体(てい)である。すると突然、黒のうちのかみさんが大きな声を張りあげて「おや、棚へ上げておいた鮭(しゃけ)がない。大変だ。またあの黒のちきしょうが取ったんだよ。ほんとに憎らしい猫だっちゃありゃあしない。今に帰って来たら、どうするか見ていやがれ」と怒鳴る。初春(はつはる)ののどかな空気を無遠慮に震動させて、枝を鳴らさぬ君が御代(みよ)を、おおいに俗了(ぞくりょう/俗化)してしまう。
 黒は怒鳴るなら、怒鳴りたいだけ怒鳴っていろと言わぬばかりに横着な顔をして四角なアゴを前へ出しながら、あれを聞いたかと合図をする。今までは黒との応対で気がつかなかったが、見ると彼の足の下には一切れ二銭三厘に相当する鮭の骨が泥だらけになって転がっている。
「君、あいかわらずやってるな」と、今までのゆきがかりは忘れて、つい感投詞を奉呈した。黒はそのくらいな事ではなかなか機嫌を直さない。
「なにがやってるでえ、この野郎。しゃけの一切れや二切れであいかわらずたあなんだ。人をみくびった事を言うねえ。はばかりながら車屋の黒だあ」と腕まくりのかわりに右の前足を逆さに肩のへんまでかきあげた。
「君が黒君だという事は、はじめから知ってるさ」
「知ってるのに、あいかわらずやってるたあなんだ。なんだてえ事よ」と熱いのをしきりに吹きかける。人間なら胸倉をとられて小突きまわされるところである。
 少々辟易(へきえき)して内心困った事になったなと思っていると、再び例のかみさんの大声が聞こえる。「ちょいと西川さん、おい、西川さんてば、用があるんだよ、この人あ。牛肉を一斤すぐ持って来るんだよ。いいかい、わかったかい、牛肉の堅くないところを一斤だよ」と牛肉注文の声が四隣(しりん)の寂寞(せきばく)を破る。
「へん。年に一ぺん牛肉をあつらえると思って、いやに大きな声を出しゃあがらあ。牛肉一斤が隣近所へ自慢なんだから始末に終えねえアマだ」と黒は嘲(あざけ)りながら四つ足を踏んばる。吾輩は挨拶のしようもないから黙って見ている。「一斤くらいじゃあ、承知ができねえんだが、しかたがねえ、いいから取っときゃ、今に食ってやらあ」と自分のためにあつらえたもののごとく言う。
「今度は本当の御馳走だ。結構結構」と吾輩はなるべく彼を帰そうとする。
「おめっちの知った事じゃねえ。黙っていろ。うるせえや」と言いながら突然後足で霜柱の崩れたやつを吾輩の頭へばさりと浴びせかける。吾輩が驚いて、からだの泥を払っている間に、黒は垣根をくぐってどこかへ姿を隠した。おおかた西川の牛(ぎゅう)をねらいに行ったものであろう。


「枝を鳴らさぬ君が御代」
謡曲「高砂」から

四海 波静かにて 国も治まる時つ風
枝を鳴らさぬ御世なれや

(四方の海は凪(な)ぎ、おだやかに吹く風は、国が安らかなるごとく枝を鳴らすこともなく、まさに天下泰平の御代であることよ)
「車屋のかみさんの怒鳴り声が、おだやかなめでたい正月の空気を、いっきに俗っぽい下世話なものに変えてしまった。」


「西川」
当時小石川区裏町に同名の大きな牛豚肉店があり、東片町にも支店があった。



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《第二》 東風来宅


画/近藤浩一路

 うちへ帰ると座敷の中がいつになく春めいて、主人の笑い声さえ陽気に聞こえる。はてな、と開け放した縁側から上がって主人のそばへ寄ってみると見馴れぬ客が来ている。頭をきれいに分けて、木綿の紋付の羽織に小倉(こくら)の袴(はかま)を着けて、しごく真面目そうな書生風の男である。主人の手あぶりの角を見ると春慶(しゅんけい)塗りの巻煙草入れと並んで

『越智 東風君(おち とうふう くん)を紹介いたし候(そろ) 水島寒月』

という名刺があるので、この客の名前も、寒月君の友人であるという事も知れた。主客(しゅかく)の対話は途中からであるから前後がよくわからんが、なんでも吾輩が前回に紹介した美学者・迷亭君の事に関しているらしい。



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《第二》 トチメンボー



「それでおもしろい趣向があるからぜひいっしょに来いとおっしゃるので」と客は落ちついて言う。
「なんですか、その西洋料理へ行って昼飯(ひるめし)を食うのについて趣向があると言うのですか」と主人は茶をつぎ足して客の前へ押しやる。
「さあ、その趣向というのが、その時は私にもわからなかったんですが、いずれあの方の事ですから、なにかおもしろい種があるのだろうと思いまして……」
「いっしょに行きましたか、なるほど」
「ところが驚いたのです」
 主人はそれみたかと言わぬばかりに、膝の上にのった吾輩の頭をぽかと叩く。少し痛い。
「また馬鹿な茶番のような事なんでしょう。あの男はあれが癖でね」と急にアンドレア・デル・サルト事件を思い出す。
「へへー。『君、なにか変わったものを食おうじゃないか』と、おっしゃるので」
「なにを食いました」
「まず献立を見ながらいろいろ料理についてのお話がありました」
「あつらえない前にですか」
「ええ」
「それから」
「それから首をひねってボーイの方をご覧になって、『どうも変わったものもないようだな』と、おっしゃると、ボーイは負けぬ気で『鴨(かも)のロースか子牛のチャップなどはいかがです』と言うと、先生は『そんな月並みを食いにわざわざここまで来やしない』と、おっしゃるんで、ボーイは月並みという意味がわからんものですから妙な顔をして黙っていましたよ」
「そうでしょう」
「それから私の方をお向きになって、『君、フランスやイギリスへ行くとずいぶん天明調(てんめいちょう)や万葉調が食えるんだが、日本じゃどこへ行ったって版でおしたようで、どうも西洋料理へ入る気がしない』というような大気炎で――全体あの方は洋行なすった事があるのですかな」
「なに、迷亭が洋行なんかするもんですか、そりゃ金もあり、時もあり、行こうと思えばいつでも行かれるんですがね。おおかたこれから行くつもりのところを、過去に見立てた洒落(しゃれ)なんでしょう」と主人は自分ながらうまい事を言ったつもりで誘い出し笑いをする。客はさして感服した様子もない。
「そうですか、私はまたいつの間に洋行なさったかと思って、つい真面目に拝聴していました。それに、見て来たようにナメクジのソップのお話やカエルのシチューの形容をなさるものですから」
「そりゃ誰かに聞いたんでしょう、うそをつく事はなかなか名人ですからね」
「どうもそうのようで」と花瓶の水仙をながめる。少しく残念の気色(けしき)にも取られる。
「じゃ、趣向というのは、それなんですね」と主人が念を押す。
「いえ、それはほんの冒頭なので、本論はこれからなのです」
「ふーん」と主人は好奇的な感投詞を挟む。
「それから、『とてもナメクジやカエルは食おうっても食えやしないから、まあトチメンボーくらいなところで負けとく事にしようじゃないか、君』と、ご相談なさるものですから、私はついなんの気なしに、『それがいいでしょう』と言ってしまったので」
「へー、とちめんぼうは妙ですな」
「ええ。まったく妙なのですが、先生があまり真面目だものですから、つい気がつきませんでした」と、あたかも主人に向かって粗忽(そこつ)を詫びているように見える。
「それからどうしました」と主人は無頓着に聞く。客の謝罪にはいっこうに同情を表しておらん。
「それからボーイに、『おい、トチメンボーを二人前持って来い』と言うと、ボーイが『メンチボーですか』と聞き直しましたが、先生はますます真面目な顔で『メンチボーじゃないトチメンボーだ』と訂正されました」
「なある。そのトチメンボーという料理はいったいあるんですか」
「さあ。私も少しおかしいとは思いましたが、いかにも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えて『トチメンボーだ、トチメンボーだ』とボーイに教えてやりました」


「月並み」
毎月一定の日に集まって俳句会を開く旧派を、正岡子規が「月並俳句」と呼んだことから、一般にありふれて新味のないことに転用されるようになった。

「天明調や万葉調」
ともに子規が俳句の手本とし、和歌の理想として重んじていたもの。



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